
『書肆アクセスという本屋があった』編:岡崎武志・柴田信・安倍甲、発行:「書肆アクセスの本」をつくる会、発売:右文書院、1143円(税抜き)
古今東西、故人の追悼本は数あれど、閉店した店を追悼する本は希書の類に入るのではないか。本書は昨年11月に閉店した、東京・神保町のわずか10坪の本屋、書肆アクセスの常連客が企画したもの。刊行に向けての基金まで立ち上げ、執筆者への原稿依頼から編集・制作、さらには自らも原稿を寄せて作り上げた、相当の思い入れが窺える本である。
書肆アクセス(以下、アクセス)は、通常の新刊書店にはなかなか並ばない、地方、あるいは小出版社の書籍やミニコミ、全国各地のタウン誌などを扱うマニアックな書店である。売上げ悪化により、やむなく31年の歴史にピリオドが打たれた。
神保町の書店街の中央を貫くすずらん通り沿いにあり、評者も何度か足を踏み入れ、博多のタウン誌などを購入したことがある。細長い店内のあちこちに、薄っぺらな冊子から分厚い単行本まで、所狭しと“商品”が詰め込まれ、店内は明らかに熱気を帯びていた。好事家には宝箱のような場所だっただろう。
雑誌の作り手から直接仕入れる店
寄稿しているのは、商品を置いてもらっていた出版社主やミニコミの発行者、資料収集のために熱心に足を運んだライターや編集者、商品を卸してもらっていた大手書店の店員、当のアクセス関係者など、総勢80名にものぼる。
あるミニコミ誌の主宰者によればアクセスは「病院の売店」に似ていた。その人は時々、地元の中小企業が作る昔ながらの飴を食べたくなるそうだが、近所のスーパーにあるのは生憎、大手メーカーの売れ筋の商品ばかり。どうするかというと病院に行く。病院の売店には、恐らく年寄り向けだと思うが、そういう、売れ筋から外れたマイナーな飴がちゃんと置いてあるというのだ。
病院の売店のような品揃えがなぜ可能だったかといえば、通常の書店は面倒臭がってやらない、発行者からの直接仕入れをアクセスではやっていたからである。
そんなディープな店だから、客のほうもディープな人たちばかりがやってくる。偶然出会った同士が意気投合、そのまま夜の街に流れることもあったし、仕事につながることもあった。
地方の出版社主にとってはまさに特別な場所だった。出版社の8割が東京に集中しているため、出版という仕事は地方では超マイナーである。愚痴をこぼしあう同業者も近所になく、孤独な仕事を強いられる。ところがアクセスに来ると状況が一転する。書店や版元、編集者など、知り合いになった同業者が呼んでもいないのに集まってくるというのだ。
そんな常連客が異口同音に誉めそやすのは畠中という女性店長のことである。
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