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『ヤクザと日本 近代の無頼』宮崎学著、ちくま新書、780円(税別)
「ねぇ、清水の次郎長って、いい人なの、悪い人なの?」
子供にそう訊かれ、すぐに回答できなかった。「大親分」である次郎長を知らない人はいないだろうが、テレビの時代劇などではかっこのいい正義の人として描かれてきた。
史実をひもとけば、港の整備に一役買ったり、地域の相談役をつとめたりもした。とはいえ、一家を構えるヤクザ者であったことにはかわりがない。
では、いったいヤクザとは何なのか。
ヤクザといえば「抗争」か「迷惑行為」の一面でしか見られてこなかった。そんな、アカデミズムの世界で無視されてきた生活集団としてのヤクザに光を当てようとするのが本書の試みだ。発生の歴史をたどるにあたって、掘り起こした文献の数は半端ではない。
著者の宮崎学氏は、「キツネ目の男」としてグリコ・森永事件の嫌疑をかけられたことからマスコミに注目され、作家に転身した人物である。生家は京都の伏見で土建業を営むヤクザであり、1960年代末の早稲田大学時代は共産党の学生組織のゲバルト部隊を指揮していた。
ヤクザの血をひきながら、左翼運動に邁進する。相反するかに映る振れ幅だが、右から左まで両極にわたる広範な交際人脈で一貫しているのは「反権力」の一点に尽きる。
まず、ヤクザのルーツをたどると、古くは戦国末期、下克上の時代に輩出した下級武士集団の「カブキ者」、その中でも合戦ごとに雇われ先を替えていく百姓出身の「フリーター兵」である足軽集団にゆきつくという。
彼らは太平の世となって一掃されるものの、その「精神」は受け継がれていき、江戸時代の「町奴」に姿を変えていったと著者は見る。
「近世ヤクザの第二世代」にあたる町奴は、時代劇でおなじみの、町人を脅す立派な身なりのお侍に対し用心棒を買って出る、みすぼらしい浪人(失業武士)を思い描いてもらったらわかりいいだろう。黒澤映画もそうだが、弱者を助ける任侠映画のイメージも、ここから来ているようだ。
しかし、そうそう揉め事があるわけでもない。「用心棒」の浪人たちは、ふだんはどんな暮らしをしていたか。公共工事での労働力(「人足」)の斡旋所であった「口入れ」(民間の職安みたいなもの)に関わるものが多かった。後の、飯場に労働者を送り込む手配師をする近代ヤクザの原型である。といった、なんとなく気になるものの、知らないできた庶民史の勉強となり、チャンバラ劇を見る目も変わろうというものだ。
「いつでもクビにできる労働力の手配」それって…
賭場で稼ぐアウトローながら、ときに弱者の味方ともなる。こうした牧歌的な近世ヤクザは、幕末維新期における社会構造の解体・再編にともない姿を消していく。
清水の次郎長親分が喧嘩上等の侠客から、経営センスを必須とする地域の顔役に変身していったのも、時代の激動に波乗りしえた結果といえるが、多くの近代ヤクザは、近世ヤクザの系譜がいったん途切れ、新たに発生したものらしい。契機となるのは、明治政権の富国強兵・殖産興業だった。
〈近代ヤクザが生まれたのは、まず北九州、阪神、京浜といった新興産業地域においてであり、それが成長しつつ各地に波及していったのは、一八八六年(明治一九年)から一九一〇年(明治四三年)まで展開されたとされる日本の産業革命を通じてであった〉
つまり、港湾、炭鉱を中心に、大量に必要とされながら、いつでもクビにできる日雇いの労働力を必要とした時期にあたる。
集まった労働者(ほとんどが農山漁村からの流れ者だった)の中から上と交渉するために自然発生的につくられた仲間組織が、やがて近代ヤクザの「組」となっていく。
発生の源においては、労働組合にも似ているが、異なるのは、タテの擬似家族的な関わりを好むか、均質な横並びを選ぶかだ。
思想というよりも、気質の違いが大きく左右する部分。男気のあるアニキが仲間の要望をまとめ、雇い主と交渉し、ときに抑え役ともなる。親分・子分になるまでには時間を要しない、こうした絆を好んだのがヤクザの源流となる。
親分は、その胆力と「顔」でもって、歓楽街の用心棒や警察力では足りない治安維持の機能を司るなどした。やがては労働者の組織から、労働力を管理提供する下請けに変化していくことになる。これが「手配師」のルーツとなるわけだが、こうした本来はヤクザの領分だった「仕事」も、いまでは携帯ひとつで人を動かす派遣企業に取って代わられている。
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