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【第22回】 フランスの名演奏家たち(1)

指揮者クリヴィヌとチェンバロのドレフュスの思い出

  • 諸石 幸生

バックナンバー

2008年3月14日(金)

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 川口義晴さんは数多くのアーティストをプロデュースしてきたが、今回と次回は忘れがたいフランスの名演奏家との録音を振り返っていただくことにした。今回は指揮者のエマニュエル・クリヴィヌとチェンバロ奏者のユゲット・ドレフュスである。いずれもフランスを代表する名演奏家で、川口さんとの録音活動によってその素晴らしさがようやく日本でも認められるようになった。

―― クリヴィヌとの録音は、データによれば、1985年に行われたベートーヴェンの三重協奏曲あたりからでしょうか。ジャン=ジャック・カントロフのヴァイオリン、藤原真理のチェロ、ジャック・ルヴィエのピアノといった顔ぶれですが。

音楽プロデューサーの川口義晴さん

音楽プロデューサーの川口義晴さん (撮影:清水健)

川口: そう、クリヴィヌにはまず伴奏指揮を頼んだんです。彼はフランスではすでに有名でしたが、僕はよく知りませんでした。僕は一時期、カントロフの家に居候していたんですが、部屋の中にあったカセットでたまたまクリヴィヌの演奏を初めて聴いたんです。『フィガロの結婚』序曲のライブでしたが、本当に圧倒されてしまった。フィガロ序曲なんて僕らは隅から隅まで知っているし、数え切れないぐらいいろんな演奏も聴いている。それを本当にびっくりするような演奏をしていた。それで是非なんかやりたいと思ったんです。

―― クリヴィヌはヴァイオリンも弾いていましたね。

 そうです。もともとはヴァイオリニストなんです。本当はオルガニストになりたかったらしい。バッハを弾きたかったと言ってました。ところがユダヤ人の家系なので、教会に出入りすることをお祖母さんが嫌った。それで仕方なくヴァイオリンを始めた。たしかヘンリク・シェリングに習っているはずです。でも交通事故で右手を負傷してしまい(スピード狂で乱暴な運転ばかりしていたらしい)、ヴァイオリンは断念せざるをえなくなった。でもそれ以前から指揮はやっていました。カール・ベームの弟子ですしね。昔はフランス放送新フィルハモニーの常任指揮者をやっていました。ヴァイオリンも弾きながらね。そんな折に怪我をして指揮一本になった。しかしヴァイオリン弾きとしての実力も相当なもので、フランスではカントロフとクリヴィヌが競っていたくらいですし、レコードもバルトークのソナタとか素晴らしいものを出していました。

クリヴィヌ、国立リヨン管弦楽団を再生させる

―― 経験は豊かなんですね。

 そうなんです。ある時、僕はパリのノートルダム・デュ・リバン教会を録音の下見で訪ねましたが、オーケストラのピットが作ってあった。聞いてみるとクリヴィヌの録音があるというから、僕は譜面台の上に連絡欲しいと書いたメモを挟んでおいたんです。そしたら電話がかかってきて、話し合った結果、最初の仕事がベートーヴェンに決まりました。オランダ放送管弦楽団とオランダのハーレムでの録音でした。

―― ということは出会いが84年頃?

 83年かもしれません。そうこうするうちに、87年だったかなフランス国立リヨン管弦楽団の首席指揮者に就任したんです。

―― 川口さんとは気が合いました?

 うーん、合うも何もね、とにかく彼は変わっていますから。フランス人はみんな彼のことをフーだと言う。気が狂っているという意味です。僕の周りの演奏家はだいたいみんな変だから、いつの間にか友達付き合いをするようになってしまった。今も続いてますけど……。

―― でもリヨン時代はとても話題になりましたね。

 まずクリヴィヌはリヨンで大騒動起こしました。こんな下手なオーケストラとはやっていられないと、10数人を首にした。それで大騒ぎになったんです。確かにだらしないオーケストラだったようで、フランスのオーケストラの伝統では、練習には弟子が出てきていたと言います。そこまではひどくはなかったけれど、そういうのがクリヴィヌは大嫌いで、実力をともなわない楽団員を入れ替えたんです。でも国立のオーケストラだから楽員の転職先まで考えてやらなきゃならない。彼に対する風当たりもすごかったし、間に入った事務局はもっと大変だった。図書館の事務員とかあらゆる公的機関に再就職先を探したりして。

 でも、本当にオーケストラは見違えるくらい変わりましたね。録音はオーケストラと我々との共同制作でしたが、とにかくオーケストラ側が一所懸命でした。時にはどういうわけか音楽監督抜きで、ユニオン(サンディカ)の委員長とどういう方針で録音していくかなんてことを話し合いました。委員長は最後にはギャラなんかいらないからいい録音を作りたい、このオーケストラが一流になることだけが望みだと言ってきました。

クリヴィヌが指揮した、官能的なフォーレの「レクイエム」

―― その熱意はすごいですね。

 ただ組織として考えることが苦手な国の人たちだからトラブルは延々と続きました。「いきなりあれをやると言われても困る」とか、「コンサートと連動していない曲は困る」とかね。そんな交渉ごとが多くて、延々と話し合ってばかりいる。僕のフランス語もだいぶ鍛えられましたよ(笑)。第1回の録音は1988年のフォーレの「レクイエム」でしたが、それはもう素晴らしい演奏でした。レクイエムがあんなにも官能的になるとはね。確かにアンドレ・クリュイタンスの録音も素晴らしかったけれど、あれ以来の衝撃でした。

 クリヴィヌは、「フォーレの『レクイエム』はイタリア・オペラだ」って言い方をするんです。だから合唱団にも思いっきり歌わせる。それが過度にならない、譜面の中のぎりぎりのところまで歌わせていく。そして官能が立ちのぼってくる。レクイエムは、フロイト風に言えば「死の欲動」で、同時にそれは「生の欲動」であってエロティックであるはずですから。普通の悲しみの世界とは完全に一線を画していた。悲しみの向こうまで、クリヴィヌはやった。とてもいい体験でした。

―― そのほかにラヴェルの全集なども制作されましたね。

 ええ、でもクリヴィヌは自分の感覚に合わないものは絶対やらなかった。例えばドビュッシーですが、一応やりましたが、『遊戯』だけは絶対やらない。「この曲を入れないと全集にならない」と言っても頑としてやらない。そうなったらもうお手上げです。

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