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日本人は「死刑」をなぜ支持するのか?~『死刑』森達也さん【後編】

2008年3月27日(木)

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 〈……少なくとも死刑を合法の制度として残すこの日本に暮らす多くの人は、視界の端にこの死刑を認めながら、(存置か廃止かはともかくとして)目を逸らし続けている。

 ならば僕は直視を試みる。できることなら触れてみる。さらに揺り動かす。余計なお世話と思われるかもしれないけれど〉(『死刑』より)

 「ゲシュタルト崩壊って、わかりますか?」と森さんは尋ねてきた。漢字をじっと見つめていると、字がゆらゆらと崩壊していく。死刑について考えていると、そんな思いを何度となく繰り返してきたという。

 僕はこの本で、「死刑を凝視せよ」みたいなことを言ってはいるんだけど、いざ凝視していると何がなんだかわからなくなる。やってみて、とてもやっかいなテーマだと思いましたね。

 これはオウムの事件以降、ずっと考えていることでもあるんだけど、日本人の特殊性って何なんだろうか。世界が死刑廃止の趨勢にあるなかで圧倒的な死刑存置を支持するこの国の特殊性を考える作業は、日本人について考えることと重なるんです。

―― 日本人の特質というと、ワタシはマスコミのバッシングが気にかかります。芸能人でも政治家でも、さんざん持ち上げたあげくに、一夜にして、寄ってたかってリンチのように吊るし上げにする。イジメはいけないと呼びかけるメディアが、獲物探しを楽しんでいるふうにも思える。もうひとつは、結論を急ぐ、イライラしている傾向も気にかかります。

 話が逸れるかもしれないけど、今、国内線の飛行機には、ライターを二個以上持ち込むことは禁止されているんですよね。テロ対策という名目なんだけど。

森達也(もり・たつや)

森達也(もり・たつや)
映画監督、ドキュメンタリー作家。1956年生まれ。98年オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開、各国映画祭に出品し、海外でも高い評価を受ける。2001年、続編「A2」が、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。著書に、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『A2』(現代書館)、『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』(晶文社)、『いのちの食べかた』(理論社)、『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)、『森達也の夜の映画学校』(共著・現代書館)など。ホームページはこちら

 以前はタバコを吸っていましたから、僕も何回もチェックのときにひっかかって没収されてきた。でも、一個なら持ち込んでもいいと言われる。「なんで一個はいいの?」と聞いたことがある。答えは、「お客さん、タバコを吸うのに困るでしょう」。

 それで、小声で係官に「これ、ヘンじゃないですか?」って言ったら、「わたしもそう思います。でも、そう言えと言われているんです」だって。確かに空港のいたるところに「二個以上お持ちの場合は一個を残して没収します」と表示されています。

 明らかな論理矛盾ですよね。テロ対策が理由なら一個を許したら意味がない。テロリストが喫煙者ならどうするのでしょう? 不安や恐怖が前提に置かれることで、ふつうに考えれば「あれ?」というようなことが、いつのまにか当然のルールや慣例になってしまっている。こんな事例が最近はとても多い。ライターならまだ大事にはならないけれど、でも人はこうして歴史的な過ちをくりかえしてきているんです。

思考停止の恐ろしさ

 本書でも、たびたび「慣例」が取材を阻むことになる。刑務所など関連する施設では、取材活動に対しても当然のごとく「制限」が加えられる。刑場の施設は、国民に対して非公開。執行そのものも、ベールに包まれている。さらに、監房内で受刑者が使用できる筆記具の色や便箋の枚数まで、まるで女生徒のスカートの膝丈寸法を定めるかのように指定されている。マーカーの色はなぜ決められた色に限定なのか。規則であるからとの答えしか返ってこない。紋切り型なシステムが、日本を覆う。そのことに不安を覚えてしまうのは、おかしなことなのだろうか。

 ナチスのアドルフ・アイヒマンの裁判を思い出します。ホロコーストを遂行した幹部の一人である彼は、検察官や裁判官に何を訊ねられても、「命令に従っただけ」としか答えない。言い逃れじゃなくて、おそらく実際にそうなのでしょう。システム化することで端数が消えてしまう。アイヒマンは見るからに中間管理職のような風貌です。凡庸な悪ですね。でも、その帰結として、気がついたら膨大な数の命が犠牲になっている。

―― 戦争犯罪に加担した意識についていうと、戦前の日本にも通じるものですよね。

 戦前だけでなく、戦後もそういう部分は変わっていない。さっきのライター没収の話にもつながります。熊井啓監督の「帝銀事件 死刑囚」の映画をつい最近、見直したんです。

 事件は1948年で、映画が撮られたのは63年かな(※64年劇場公開)。その映画の中で、新聞記者たちが「世論が平沢は犯人だといっているんだから、それに従うしかありません」とデスクに詰め寄っている。

 あの事件は、何も物証がないまま、状況証拠だけで死刑判決が下された。当時のマスコミは新聞でした。今はテレビという、より市場原理に敏感なメディアが民意を先取りしようとする時代です。その影響力は昔の比じゃないでしょう。

 朝山さんがさっき言われた、昨日までは褒めそやしていたのを一夜明けたらバッシングする。いまのメディアの状況をみると、日本中がある意味で臨界状況にあるのでしょうね。

 今日もね、ここに来るまで、駅のところに、警察官と例の毒ガス防護服を着た人がうろうろしていて、何が起きたんだろうと驚いたんだけど、千葉県警と消防署が合同で行ったテロ対策の訓練だったようです。

 しばらく見ていたのだけど、メディア用に何度も防護服の隊員がポーズをとったり、訓練というよりもアピールでしたね。まあ訓練することは悪くはないにしても、でもこのセキュリティへの喚起は激しくなるばかりです。

 電車に乗ったら「不審物を見かけたら……」という例のアナウンス。街のいたるところに、特別警戒実施中とかテロ警戒中のポスターやサインボードが目につく。もちろん監視カメラは増殖中。自警団も増えるばかり。日本中が慢性的な擬似避難訓練状況に陥っている。非日常的な状態が日常化している。

 つまり、本来なら異常な事態のはずが常態になってしまっている。そして、仮想敵に脅えながら待ち望んでいる。そういう不安や恐怖が慢性的に臨界状態にあるからこそ、悪い奴を成敗してくれる強力な後ろ盾を、人は求めたくなるんでしょうけど。

「死刑」から日本の特殊性を読み解く

―― 国家に対するセキュリティの要求は、日本だけのことだと思わないんですが、こと死刑に関しては、海外では廃止の方向に動いているのに、日本だけが存置で固まっている。なぜだとお思いですか?

 確かに危機管理意識の高揚は、9・11後のグローバルな現象です。でも日本人は特に染まりやすい、それでいて、個人プレーを許さないお国柄がある。なぜなら集団への帰属意識が突出して強いのだろうと思います。だからこそ「KY」なんてフレーズが流行する。空気を読むことは大切だけど、日本人の場合はそれが空気に従えに直結してしまう。同調圧力ですね。

 群れて生きることを選択した人類の普遍性ではあるけれど、この国はそれがとても強い。だから想像だけど、かつてアジア諸国も、一人ひとりは善良で思いやりのある日本人が、国家や軍隊という組織になったときに、どうしてこれほど無慈悲になれるのだろうと驚いたんじゃないかな。

 首相が靖国に参拝すると、いまだに中国や韓国は、ゆゆしき問題だと怒る。なぜ彼らがこれほど過剰なまでに日本を警戒するのかというと、集団になったときに相が転移する日本人の怖さを、どこかで記憶しているからではないかな。

 それは最近の亀田問題や沢尻エリカ騒動からも感じることだし、とにかくこの国は一極集中・一斉傾斜が激しい。この傾向が仮想的の論理に組み込まれたらと考えると、やっぱり相当に怖い存在ですよね。

 石原都知事が以前、日本軍は強いんだ、みたいなことを公式に発言したけれど、実際にそうなのでしょうね。アイヒマン的な人が多いから。

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