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岐路に立つブータン、「国民総幸福量」政策の行方

  • 藤田 宏之

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2008年3月28日(金)

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 2008年に王室主導で初の民主政体が発足するブータン。伝統とのバランスをとりながら、「国民総幸福量」の理念に基づいた近代化を進められるのかどうかが、注目を集めている。

 現地語でドゥク・ユル(雷龍の国の意味)と呼ばれるブータン王国は、面積は九州より一回り大きいほどの小国だが、インドと中国という2つの大国にはさまれながらも、1000年以上も孤高を保ってきた。地理的な条件に加え、鎖国政策を長く続けてきたため、外界から隔絶されていたのだ。1960年代まで、舗装道路や電気、自動車はなく、電話や郵便制度もなかった。



クジェ・ラカン僧院で朝の勤行をおえ、昼食に向かう僧侶たち。彼らの行く手には新しい世界が広がる。ブータンでは初の国政選挙後、2008年に絶対王制から立憲君主制に移行する。
クジェ・ラカン僧院で朝の勤行をおえ、昼食に向かう僧侶たち。彼らの行く手には新しい世界が広がる。ブータンでは初の国政選挙後、2008年に絶対王制から立憲君主制に移行する。

 今でも、霧に包まれた崖に立つ古い寺院、川や森を見下ろすようにそびえる未踏の霊峰、4人姉妹を妃にめとった前国王がその一人と暮らす宮殿を眺めていると、ここは「時に忘れられた場所」という気がしてくる。訪れる人々が「最後の理想郷」と呼びたくなるのももっともだ。

 先代のジグメ・シンゲ・ワンチュク国王が16歳で1972年に即位した当時、ブータンは貧困、識字率、乳幼児死亡率のどれをとっても、世界で最悪の水準だった。鎖国政策が残したお荷物だ。「その代償は高くついた」と、前国王自らがのちに語っている。

 ブータンが開放路線に転じたのは1960年代、前国王の父が第3代国王だったときだ。彼は道路や学校を建設し、診療所を開き、国連への加盟を実現した。前国王はさらに一歩踏みこんで、あらゆる面に目を光らせながら開放を進めようとした。それは、国が発展するとはどういうことかを見つめ直す機会でもあった。彼の姿勢は、彼自身が考案した「国民総幸福量(Gross National Hapiness)」 という言葉によく象徴されている。

 多くのブータン人にとって、国民総幸福量はマーケティングの道具でもなければ、ユートピア哲学でもない。生きていくための具体的な構想なのだ。国民総幸福量の柱は、持続可能な開発、環境保護、文化の保全と振興、優れた統治の4つ。これらを指針としたことで、ブータンは天然資源の採取に頼ることなく、貧困から脱却することができた。

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