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【第24回】 録音は何のために行うのか

自分の意思として、新しい意味を発見していきたい

  • 諸石 幸生

バックナンバー

2008年4月2日(水)

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読者プレゼント 5名様 CD「ベートーヴェン『街の歌』他」

街の歌

音楽プロデューサーの川口義晴さんがプロデュースした最新CD「ベートーヴェン『街の歌』他」(オクタヴィア・レコード、定価2625円)を読者の皆様の中から抽選で5名様にプレゼントいたします。演奏は遠藤文江(クラリネット)、藤原真理(チェロ)、倉戸テル(ピアノ)。曲はベートーヴェンのピアノ・トリオ第4番「街の歌」、リスト「尼僧院の僧房」「悲しみのゴンドラ」、シューマン「3つのロマンス」「幻想小曲集」が収録されています。ふるってご応募ください。

ご応募はこちら>>> 

 録音という形で数多くの感動をプロデュースしてきた川口義晴さんの仕事を1年かけて追ってきたが、いよいよ今回が最終回。演奏家の裏側にいるプロデューサーは文字通り影の仕掛け人であるかもしれないが、その仕掛け人の能力次第で1枚のCDの価値、魅力がいかようにも変化するから怖いものである。音楽ファンを魅了してきた「川口ワールド」の極意を改めてうかがい、こだわりの本質を再確認しようと思う。

―― 改めてCD作りの面白さをうかがいたいと思っています。ヨーロッパにはエンジニアの養成機関もあるようですが、日本では人材育成はほとんどが見よう見真似ですね。その辺りについてはどうお考えでしょうか。こういう仕事に就きたいと願う若い世代も多いと思いますが。

川口: 残念ながら、そういう意志をもった若い人たちにとって、いい時代じゃないですよね。メジャーレーベルではもう自分のやりたいこととか、もしあったとしてもですよ、出来る状態だとは思えない。小さなレーベルでは現状を維持していくのが精一杯。見よう見まねと言っても、誰を見ていいのかさえわからない。……本当に僕なんかには、どうすればいいかなんて思いつかないです。

 ただ録音の仕事をやることによって、コンサートとは異なる、あるいはコンサートでは味わえない世界を経験する、その面白さは今も絶対にあると思います。それにはいろんな要素があり、面倒なことも多い。でもそれがまた面白いところでもあるし、1枚のCDが誕生するためにそれこそデザイナーも含めて一緒に仕事をしていくのは、しんどいけれど楽しい仕事なんです。会社とのコタゴタは辟易しますけどね(笑)。

 僕は演奏家ではないし、批評家でもない。生の音楽家と録音を通じて付き合ってきた。だから剥き出しの音楽をどうやったら伝えられるか、それだけを考えながらやってきたと言ってもよいでしょう。剥きだしの音楽体験っていうか。

「録音する人間は演奏家のサーバント」と言われたことがある

―― かつてのCDの録音評などでは、コンサート会場の真ん中で聴いているようないい音といった表現がありましたが、そういった抽象的なイメージではなく、もっと実体感のある音が大切な気がしますが。

音楽プロデューサーの川口義晴さん

音楽プロデューサーの川口義晴さん (撮影:清水健)

 コンサート会場ではどんなに良い席で聴いていてもなんらかのホール自体の歪みは必ずあるんです。あるパートだけ聴こえにくいとか、バランスがよくないとかね。そりゃ、コンサートの雰囲気はありますよ。でもそれは演奏家と聴衆の関係が作り出すものであって、そこにいない聴き手には関係がない。ですから録音という作業はもっと別な次元にある仕事なんです。

―― 同じコンサートでも、後で録音を聴いた方が良いという経験をする時があります。やはりもう一人の耳があったほうがいい場合があるのですね。

 ただ、プロデューサーの耳とエンジニアの耳というのは、本当は一致していたほうがいいかもしれないけれど、なかなかそうはならない。違っている双方が刺激しあって作り上げたほうがいい場合もあります。二人とも実力がある場合ですけど。

―― そういう制作者たちは育ってきているんでしょうか。

 いやあ、新しい録音を聴いている限り、あまり優秀な人は育っていないと感じることが多いです。あまり聴いているわけではないですが。

―― 何が欠けているんでしょうか。

 演奏家と一緒になって、何かを発見していく、その過程が見えてこないんです。そういう意識すらないんじゃないかと感じることがあるくらいです。

―― ある意味で制作者は演奏家と同じ次元で演奏に参加し、考えなさいということでしょうか。

 ある意味ではそうです。演奏に参加するといっても、どの次元かということがあるでしょう。僕はかつてヴィルモースにさんざん言われました。彼の考えは、録音する人間は演奏家のサーバント(奉仕者)だということでした。でも僕にそんな気は全然ないですね。

―― むしろコントロールしてしまう。

 そういう場面だって場合によってはあります。いや、最近は結果的にコントロールしすぎたんじゃないかって反省することもありますが……。

―― でも演奏家によってはコントロールされることによって、むしろ活きてくる場合だってありますよね。

 私たちは商品を作っていますから、商品にならないような演奏をする人に対しては、それはもちろんコントロールしてやらないといけません。それは商品に対する責任だし、その場合、いつもより僕の音楽解釈が出てしまうけど、そういうやり方は好きじゃないんだけど、ないとは言えない。

 例えば、オーケストラのライブなんかでも、やはりちょっと事前にオーケストラに話をするだけでも変わってきますから、コミュニケーションをとることは必要なんです。ただ必然的にライブでは限界があります。その場に居合わせた人にはその録音された音楽は共有できるかもしれないけれど、そうでない人には伝わらない。昔レコードは思い出だと行った評論家がいましたけれど。ライブ録音についてはある程度正しいと思う。だけど、そんなこと言われて制作者が黙ってちゃだめだよね(笑)。

編集作業は音楽の魅力を引き出すために必要なもの

―― 薄められる?

 薄められる時もあるし、逆に強調される場合もありますね。強調されるのは録音エンジニアのクセとか好みとか教養といったものが出過ぎる場合がほとんどです。

 だからテープの編集という作業を前提に録音していくことになりますが、それが会社にはなかなか理解されにくい難しさがある。いつだったか社長に呼び止められて、どうして新しいデジタル編集機なんて要るんだ?なんて言われたことがある。ちょうどその開発製作経費の稟議書が回って行った頃だったんですが、一つ二つ演奏に間違いがあってもいいじゃないかなんて言われて。説明は大変です。最近の演奏家っていうのはそんなに下手なのか、なんて言い出すから。

 いや確かに間違った音があってもいいんです、極端に言えば。私たちは音楽に一番必要なもの、魅力を引き出すために編集作業はいるんですよ。ただ演奏しているだけだと流れていってしまうものを、より立体的に作る、仕上げていく、その過程が編集ですから。

 例えば、ニコレ夫妻とやったW.F.バッハのデュエット集ですね。あれで実験してみた。ある楽章で1回も中断せず通して録りました。1楽章全体、編集しなきゃならないところがないくらい完璧だったから。でも、念のためにもう一度だけやって欲しいと言って、もう1回収録しました。印象としては前に録ったのとほとんど変らない。それで東京に持って帰ってから、試しに2カ所ぐらい編集で組み合わせた。2回とも同じような演奏なのに、全然違うのが出来たんです。もっともっと凄(すご)いのがね。

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