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「(ほぼ)全員有罪」の社会システムが稼働した

2008年4月3日(木)

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 一連の食品偽装事件が痛ましく感じるのは、成分や賞味期限を偽る不誠実を次々に目の当たりにさせられたからだけではない。

 不祥事を起こした企業から自殺者が出る前例こそ、ここしばらくは繰り返されていないものの、長期的に見れば、そこで人生が大きく狂い、不幸な帰結に至る人も少なくなかっただろう。特に雇用の不安定な非正規雇用の社員などにしわ寄せが多く出たのではないか。

 おかしいと思わないか?

 というのも、成分偽装や賞味期限切れの食品を食べて、深刻な食中毒に至り、亡くなった人は、幸いにして今のところ一人も出ていない(中国製餃子による食中毒は、誰が、どのように混入させたか分からないが、具体的な毒物が発見されているので、事情が異なる)。にもかかわらず偽装をした企業に関わった人は、不幸にも大きなダメージを負う。

 偽装をしたのだから、悪に手を染めたのだから、当然の報いだ、そう考える人が多いのだろう。

 確かに偽装行為には問題がある。法律違反があれば訴追の対象になるべきだし、そうでなくても道義的な問題はある。それは疑う余地もない論理だ。悪は悪、逸脱は逸脱。見事なまでの同語反復で、そこに疑念が差し挟まれる余地は微塵もない。

 しかし、こうして疑う余地もない論理を、承知の上で、そこに敢えて疑問を投げかけてみる。今回はそこから始めてみよう。

速度制限違反はなぜ話題にもならないのか

 思考実験のひとつとして、より親近感がある例から考えてみよう。交通違反のケースだ。

 日本の高速道路には速度制限がある。しかしその制限は守られていない。

 飛ばし屋は前からいた。名神高速が新幹線と平行して走る区間で、新幹線を抜いたなどと子供っぽく自慢する猛者もいた。

 しかし、ここではそうした頭抜けたケースではなく、平均速度を考えてみたい。

 特に貨物輸送車の性能が向上したせいだろうか、10年ぐらい前に比べて高速道路の平均速度はずいぶん高くなった。あくまでも実感レベルの印象だが、東名道や中央道では、晴天の昼間、事故も工事もなく、スムーズに交通が流れている状況では、全体の9割以上のクルマが制限速度を超過して走っているのではないか。これもまた被害者なき法律違反だ。

 そんな高速道路で時に取締りが行われる。哀れ、摘発されたクルマのドライバーは「他のクルマと同じように走っていたのに」と弁明するのだが、警官には聞き入れられない。ここでも違反は違反だという論理が成立し、抗弁は虚しい。違反キップが切られて、一件落着となる。

 しかしそれが世間を騒がす話題になるかといえばそうではない。泥酔した運転手によって死傷事故が起きたらニュースになるが、日々、日本のどこかで行われている速度違反車両摘発などニュースにはならない。スピード違反でダメージを受けるひとがいない以上、それは特に問題とする必要はないと考えているのか。いずれにせよ、私たちの社会の「法システム」と「マスメディアのシステム」が、こうした「感度」で作られ、機能しているのは事実だ。

【社会を「オートポイエーシス」なシステムとして考えたニコラス・ルーマン】

 ここで「法システム」なる言葉を出したついでに、社会システム論のニコラス・ルーマンの考え方を紹介しよう。

 ルーマンは 1927年にドイツのリューネブルクで生まれ、フライブルク大学で法学を学んだ後、ハーバード大に留学、アメリカ社会学の泰斗タルコット・パーソンズのもとで社会システム理論を学んだ。1984年に主著『社会システム理論』を発表。社会システム理論にいわゆるオートポイエーシス概念を導入して多くの著作を残し、多くの後継者を育てて1998年に亡くなっている。

 ルーマンはパーソンズと同じく社会とはひとつの構造=システムだと考える。この社会システムは下位のサブシステムの集合だと考えられており、サブシステムの例としては「法システム」「経済システム」「人格システム」・・・・・等々があるとされている。

 ルーマンの社会システム論の特徴は、このシステムを動的なものとみなすことだ。

法や経済などのシステムの集合体として社会は生き続ける

 生物の個々の器官が互いに相補的に働いて生命を維持するように、社会でも個々の要素が相補的に働き合っていると考えた、いわゆる社会有機体説は、サン・シモンに始まり多くの論者が唱えるに至ったが、ルーマンはそれを更に徹底させる。

 個々の生物体は寿命があり、生まれては死んで行く。そんな寿命のある生物体をモデルとした社会有機体説では有史以来、人類が数限りない政権交代を経つつも社会活動を継続させてきた事情が説明できない。いつかは寿命が尽きる日が来るのかも知れないが、少なくとも今までは社会はずっと生き続けてきた。

 そこでルーマンは寿命ある個々の生物のメタファーとして社会を考えるのではなく、生命の継続そのものに注目する理論を引こうとする。生命は次の世代の生命を生み出し、個体の死を越えて生命自体を脈々として受け継いで行く。ある樹木は寿命が来て枯れても、種を落とし、次の樹木を繁らせる。

 こうして生命とは、つぎの生命を生み出す自己生成的(=オートポイエティック)なものだと考えたのが神経生理学者のウンベルト・マラトウーナ、フランシスコ・ヴァレラによって唱えられた生物学におけるオートポイエーシス理論だ。

 それにインスピレーションを得るかたちでルーマンは、社会もオートポイエティックなシステムだと考える。

コミュニケーションの継続が社会システムの意味

 では、生物が生命をリレーしていったのに対して、社会で次々に受け継がれて行くものは何か。それはコミュニケーションだ。社会とはコミュニケーションを継続させて行くシステムだというのがルーマンの立場だ。更に言えばコミュニケーションこそが社会そのものなのだ。

 こうしたルーマンの立場におけるコミュニケーションは、対面したり、電話機を介してかわされる会話のような限定されたものではない。環境を相手に働きかけたり、仲間や敵に対して交されるあらゆる行為がコミュニケーションであり、そんなコミュニケーションの連続・総体として社会の歴史があるとするのがルーマンの立場だ。社会システムとはそうしたコミュニケーションの総合的なシステムに他ならない。

 社会のシステムは、「法」や「経済」「人格」といった、「コミュニケーションの継続」を目的とする様々なサブシステムの総和であり、生き物が子孫を残してゆくように次々に生成変化を繰り返している。社会学者ニコラス・ルーマンの考え方を乱暴に要約するとそういうことだ。

 そんな社会システムの中にあるサブシステム、たとえばそのひとつである「法システム」は「法的なコミュニケーション」を繰り広げ、システムとして継続してゆく。法的システムがそれとして継続してゆくためには、法的議論の対象になるものをシステム内部に招き入れ、そうではないものを外部に排除する不断のやりとりが必要とされる。そうでなければ法的システムは途絶えてしまうからだ。

全員有罪、でも取り締まられるのはごく一部

 法的なコミュニケーションを続け、法的なものをシステムの内部に取り込むためには「法的なもの」と「そうでないもの」を隔てなければならない。こうして「法的か/否か」という二分コードが機能することで法システムは維持される。

 この二分コードはひとつのプログラムであり、それ自体は変更が可能だ。法改正はしばしば行われるし、極端な話、革命が起きるとそれまでの法自体が全面的に塗り替えられることもある。

 しかし新しい法システムも、法的か否かの新しい二分コードのプログラムを有し、結局、政権が変わっても、法的なやりとり=コミュニケーションが脈々と継続させられてゆく

 こうして「法的か/否か」を作動原理とする法システムは、日本社会では独特の作動をしている。

 先に引いたスピード違反は間違いなく法的な対象となっており、法システムの内部に属するが、多くの違反者は法的な処罰を免れている。法的処罰の対象にならないものであれば、法システムの外部に放擲されてもよいのだが、そうはなっていない。

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