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ぼくは、給食を食べたことがありません

「自分でやる」面白さはどうすれば伝わるだろう

  • 小橋 昭彦

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2008年4月8日(火)

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ムラからの手紙

 地域コミュニティについて、あなたはどう考えていますか。個人の自由を縛るやっかいな存在でしょうか。あるいは協働を養う貴重な場でしょうか。どちらであっても共感できる考え方です。でも、両立はしづらい。

 ぼくとしては、そのどちらでもない、第三の回答を探したいと願っています。それがどのような立場であるかは、これから作り上げていかねばならない部分が多く、抽象的な理想で終わらせないために、努力と工夫(そしておそらくは失敗も)を重ねていかなければなりません。

 コミュニティの運営手法について、前回は日役をとりあげながら、都市部と田舎の違いを考えました。田舎では自分たちでやっている作業を、都市部では、家事を外部サービスに委託するように、行政や専門業者といった外部に委託している。消費社会が成熟するとともに、こうした外部化(商品化という言い方もあります)が、生活のあらゆる側面で見られるようになってきました。地域コミュニティのあり方を考えるとき、こうした消費社会の影響を意識しないわけにはいきません。

自治活動とお弁当

 先日、組(十軒程度からなる、自治区のさらに下の単位で、隣保とも呼んでいます)の寄り合いがあって、新年度の組長を決めた後、雑談になりました。昨年こちらに移住され、二地域居住(都市と田舎の双方に住居を構えて暮らすスタイル)を始めた人に、

「どうですか、田舎はたいへんでっしゃろ」

 と尋ねた人があり、主に週末に田舎に滞在されているその方が、

「こちらでは自治会がずいぶんしっかり活動されているのが驚きでした」

 と答えられていました。ちょうど都市部で町内会の役員を務められていて、比較がしやすかったようです。

 たいへんだけど仕方ない、といった話の流れになり、ぼくもぼくなりの観点、つまりこれまであなたに書いてきたような観点から、

「確かに、自分たちでやらなくてはいけないことが多くて大変だけど、今はむしろそういう(自分たちでやる)あり方が見直されている時代でもある。そういう意味で、むしろ時代の最先端のようでもあり、楽しんでいる」

 といった話をしました。
 もっとも、こういう観点は伝わりにくいですね、一人の方が、

「そうなんや。学校の給食かてな、ほんまは家で弁当を作るのがいちばんなんやけど」

 とおっしゃって、なるほど、それはそれでひとつの考え方だし、ぼくの言っていることも単純に聞けば、そういう風にとらえられると思って、聞いていたのです。

 もちろん、ぼく自身はそうした「手作り弁当か給食か」のような二項対立ではなく、第三の道を探る立場なのですが、それをどう表現していいのか分かりません。自由か協働かという議論と同じく、突っ込んでみたいテーマですが、その場ではそれ以上言葉にすることができませんでした。

お弁当と給食をめぐる葛藤

 それを今、あなたと考えてみようというのが今回の手紙の魂胆です。ただその前に、この地域では、給食はごく最近始まったばかりだということをお伝えしなくてはいけません。そういう背景があってこその発言ですから。

 そう、ぼくはこれまで一度も、給食を経験したことがありません。小・中・高とずっとお弁当だったので、大学に入って、みんなが給食の話をするのに、ついていけないのでした(たとえばサークルの合宿で用意したピーナッツバターで盛り上がる、それがどうやら給食に関係があるようなのだけれど、ぼくにはよく分からない)。この地域で給食が始まったのは、ちょうどわが家の子が幼稚園に行く前、ということはほんの五、六年前です。
 ぼく自身は直接知りませんが、導入に至るまでには、給食を求める保護者と、「愛情弁当」を訴える地域の人たちの葛藤もあったものと想像されます。当時親の世代だった人たちが今、「食文化を守る会」という任意団体を作っていますが、こうした会ができたことも、当時の状況と無関係ではないはず。

 先ほどの「お弁当を作ることが子どもへの愛情」という発言の裏には、当時の地域側の思いが表れています。その発言を聞いたときぼくは、その気持ちは理解しつつも、そうは言ってもみんな作らないだろうな、ぼくもそれは困る、という思いが真っ先に浮かんだのです。そしてその思いと、これまであなたに書いてきた、「自分たちで管理すること」への思いが矛盾することを自覚してもいました。ぼくはあなたに、いわば「お弁当を作る」ことの楽しさや貴重さを伝えてきたのではなかったか。

時代の流れは外部化、商品化。それを前提に

 結論を先取りして少し整理しておくと、ぼく自身は、外部化・商品化の流れは止められないと考えています。現実問題としても、高齢者が多くなる田舎の現状を考えると、これまで通りの自治会活動を期待することは難しくなる。コスト面での厳しさはあるにしても、何らかの手法で地域管理を外部化していくのは仕方がない。

 また意識の上でも、ぼくたちが消費社会の価値観のなかで「もっと便利に」「もっと豊かに」と目指してきた流れに抗して、「外部化してはいけない」という論は説得力を持ちづらい。

コメント6件コメント/レビュー

私は小橋さんの書かれた中で「当事者意識」というものが、現代ではとても大事だと思っています。「第三の道」が何であるかを考えるためにも。そのために理想を言えば、身の回りのことに気軽に参加できる仕組みがあるとありがたいです。例えば給食でいえばお手伝いしたいとき、出来るときに気軽に参加できるなど。実際大の大人を甘やかしているし、手間隙もかかりますが、こういう”素人が気軽に活動に参加するための仕組み”が、ここまで分業化された社会には必要ではないでしょうか。(2008/04/25)

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私は小橋さんの書かれた中で「当事者意識」というものが、現代ではとても大事だと思っています。「第三の道」が何であるかを考えるためにも。そのために理想を言えば、身の回りのことに気軽に参加できる仕組みがあるとありがたいです。例えば給食でいえばお手伝いしたいとき、出来るときに気軽に参加できるなど。実際大の大人を甘やかしているし、手間隙もかかりますが、こういう”素人が気軽に活動に参加するための仕組み”が、ここまで分業化された社会には必要ではないでしょうか。(2008/04/25)

このコラムの最後の言葉が大変ぐっと来ました。内部の行動を外部に委託する動きは止められないと思います。我が家の所属する組でも、10年前に我が家の祖父の葬式を葬儀社に頼んだときから、自宅で葬式をする家、自宅でお斎を出す家はなくなりました。高齢化社会の今後、そういう動きはどんどん進んでいくでしょう。でもそれで止めるのではなく、その先へ行く道を探ることは大切なことだと思います。考える習慣はつけるべきですね。そういえば給食のメニューは自分が小学生だった30年以上前から配布されていましたが、最近のメニューはすべて漢字で、どこで作ったどんな野菜が使われていて、消費カロリーまで書いてあって、大変うらやましかったです。昔は全部ひらがなの活字タイプで、「これなんだろう?」というメニューが多かったなぁ。「くじらのたつたあげ」の謎が解けたことを思い出しました。(2008/04/25)

賛か、否か、という二律背反の先にあるものを模索するという見識には共感を覚えました。自分も、だからこうだ、という第三の解を提示できるような者ではないのですが、賛か否かを無理やり選択させた上で納得させる、あるいはそれ以外のあさっての方向に進んでみるという思考実験は、これからの日本ではさらに重要さを増していくだろうと思っている。世に、マニュアル世代などという言われ方がある根底には、実は賛か否かで割り切れない世界があるという意識も含まれているものだと思っています。(2008/04/10)

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三品 和広 神戸大学教授