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「東京に虫が減った」ことから、現代文明の崩壊を考えてみる

2008年4月9日(水)

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 桜が咲いて、虫が出る季節になった。鎌倉の自宅の庭にも、ムラサキシジミが裏山から降りてきたり、テングチョウがしきりに舞うようになった。
 それにしても虫が少ない。
 イタドリハムシくらい、飛んできてもいいのに。だんだん虫が減る。とくにここ数年、とみに著しいような気がする。

こちらは、ムラサキシジミの近縁種、ムラサキツバメ。どちらも温暖地に生息するシジミチョウの仲間。幼虫はシイやカシの葉を食べる。成虫で越冬するのが特徴で、春、最初に見られるチョウのひとつ。

こちらは、ムラサキシジミの近縁種、ムラサキツバメ。どちらも温暖地に生息するシジミチョウの仲間。幼虫はシイやカシの葉を食べる。成虫で越冬するのが特徴で、春、最初に見られるチョウのひとつ。

こちらがテングチョウ。頭の先にテングの鼻のようにとがった突起があるから、こんな名前に。幼虫はエノキを食べ、成虫で越冬する。

こちらがテングチョウ。頭の先にテングの鼻のようにとがった突起があるから、こんな名前に。幼虫はエノキを食べ、成虫で越冬する。

 年寄りらしく、昔のことをまずいう。

 受験生の頃、自宅の庭に梅が一本だけあった。その梅が満開になると、ハナアブだらけになる。普通種のアブだが、よく見ると、あんがいきれいな色である。しかも一種類ではない。まだ寒い季節で、ほかに活動している虫が少ないから、つい見てしまう。アブでも収集しようか。そんなことを考える。

 そのハナアブすらもういない。

 3月31日に東京は新宿矢来町の新潮社に行った。ここには以前、作家を缶詰にした新潮クラブという和風の建物がある。その庭にカエデが数本あって、見るとカエデの花が満開である。ハナアブくらい、いないか。11時から夕暮れまで缶詰だったから、ときどきカエデの花を見るが、虫の一匹も来ていない。東京というのは感じの悪い町である。あんなところによく人が住んでいるよなあ。虫も住めない土地に、本当は人が住めるわけがないではないか。

 その一週間ほど前、雑誌の対談で石川英輔さんにお会いする機会があった。オサムシ研究の大家で昆虫学者の石川良輔さんの弟さんである。最初にお会いしたのは、私が大学に入った年、なんといまからちょうど五十年前、虫の件で良輔さんをお訪ねした、そのついでにといっては語弊があるが、当時の英輔さんと将来の奥様に、たまたまお目にかかった。その後、考えてみれば二十年に一度ほど、お目にかかる機会がある。それでも虫屋のご縁で、たまにという感じがしない。そのときに、ヤマドリの剥製が置いてあったことも記憶している。庭に来たのを撃ったんだと、良輔さんがいっていた。都内をヤマドリがまだウロウロしていたのである。こう書いている本人が、そんなこと、信じられんわ。

 英輔さんご本人は虫屋ではないが、お兄さんの薫陶を得て、ずぶの素人とは、いうことが違う。都内にお住まいだが、自分で畑を作って、七十代なのに、一人でちゃんと暮らしておられる。この時代に偉いものですな。お住まいのあたりの、昔の写真といまの写真を比べて見せてくださった。あまりといえば、あまりのありさま。諸行無常とはいえ、世界をここまで変えていいものか。

 その石川さんも、虫が減ったと嘆く。そう、減ったんですよ。老人二人が、変なところで意気投合して嘆きあう。しょうもない。作家の大岡昇平が、自分の幼かった頃に住んでいた渋谷のあたりの地図を、手書きで描いている。いまの渋谷を歩き回っている若者たちは、そんな地図なんて見たこともないと思う。ケヤキの木まで描きこんである。なにが進歩か。なにが便利か。古いもののよさを失わずに、新しいものが加われば進歩だが、古いものと引き換えなら、それは取り替えただけのことである。それなら単なる手数のムダではないか。

 幼い頃に育った周囲の景色が、その人の一生のあいだの空間認識を決定してしまう。そんな論文は見たことがないが、すでにあるか、そのうち出るに決まっている。その空間をたえず消され続けてきたのが、現代人である。感覚も思考も、どこか変になるに決まっているわ。

 三月末といえば、以前は虫がたくさん出る季節だった。まだ寒い風が吹くが、陽だまりは暖かい。そういうところに出て、木漏れ日を透かして見ると、無数の小昆虫が飛翔している。古い話だから、私の日本語もそれに応じて古くなる。網を持ち出して、捕えてみると、さまざまな虫が入っている。甲虫ではセスジエンマムシやハネカクシ、キスイムシその他もろもろ。どれもごく小さい。堆肥や樹皮の下などで越冬していた虫が、活動を始めたのである。

 いまはその虫が見えない。陽だまりにあるのは、日の光だけ。砂漠の日光とその意味では変わりがない。昭和四十年代から、急速に減った。東京オリンピック以来というのが、わかりやすいかもしれない。

 なによりまず下肥がなくなった。臭くなくていいという人もあるが、じゃあ人はウンコをしなくなったのか。見ぬもの清しというだけのことではないか。自分が下肥のもとを出しながら、それを汲み取る人をバカにする。以前でもそれが普通だった。特別な人でなければ、そういう仕事はしない。それが文明人である。私は死体を扱っていたから、それはよく知っている。公に汚いとはいわないが、腹の底ではそう思っているはずである。その感情を消せとはいわない。あって当然の感情だからである。でもそれを上手に統制する工夫を文化といい、文明という。

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「「東京に虫が減った」ことから、現代文明の崩壊を考えてみる」の著者

養老 孟司

養老 孟司(ようろう・たけし)

東京大学名誉教授

解剖学者/作家/昆虫研究家。1937年生まれ。62年東京大学医学部卒業後、解剖学教室へ。95年東京大学医学部教授を退官し、その後北里大学教授に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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