いまは四月のはじめ、本格的な虫採りに出るには、まだ二、三週間ほど早い。虫が出ていないわけではないが、葉っぱが十分には伸びていない。もう少し暖かくなってからのほうが能率がいい。今月の終わりにはラオスに行く。いまからそれが楽しみ。ラオスは暑い季節で、温度はどうせ三十度をはるかに越えているはずである。

昨年春、ラオスでムシ採りに励む養老先生
虫採りをしないから、おかげで書くことがない。昨年で雑誌に書いていた時評を全部やめた。おかげで少し勢いが余っているので、時事的なテーマにでも触れておきますか。
中国人監督のドキュメンタリー「靖国」を映画館が扱わないという問題を新聞が伝えている。自民党議員が内容が偏りがあると述べ、右翼、具体的には街宣車の抗議があるからだという。新聞がこれを取り上げる角度は、「表現の自由」に対する侵害ではないかというものである。
この図式には、もう皆さん、飽き飽きしているのではないかと思う。ご存知のように、以前からの靖国問題が近年になって沸騰したのは、小泉元首相の参拝問題からである。これも賛否両論があったけれども、小泉支持がじつは過半数だったと記憶する。
当時私は単純な筋論を採った。「表現の自由」が憲法なら、「信教の自由」も憲法である。個人の信教の自由は憲法で認められている。それなら小泉が個人としてどこに参拝しようが、なんの問題もない。首相は個人とは違うというのは、「封建的」思想である。
それでも新聞はギャアギャアいった。現首相の福田さんは、中国や韓国があれだけ嫌がるものを、無理に行くことはない。そういう姿勢だったはずである。それはそれでいいので、根本は靖国問題なんて、実質的にはどうでもいい、ということである。
今度の問題もまったく根は同じだと思う。「どうでもいい」問題について、あれだけ空騒ぎをしたから、ふつうの人は懲り懲りしているはずである。そんなこと、知らない。私の知ったことじゃない。関わりたくない。それが常識であろう。ふつうの人は靖国の遺族でもないし、靖国問題なんか、自分の日常生活に関係がない。今度の映画館の拒否は、そういう心理が表面化しただけだと、私は見ている。憲法問題でもなんでもない。
でも新聞は相変わらず憲法問題として見ようとしている。それなら小泉参拝を考え直したらどうか。新聞の議論は最初のボタンを掛け違えている。だから、もう直しようがないのである。プリンスホテルが日教組の大会を断ったのも、具体的にはいろいろな事情があるかもしれないが、根本は似たようなことであろう。いまでは日教組の存在意義が低下したのである。教育は現在でも大問題なのだから、日教組は大きくなり、活動が盛んになっていいはずである。それがそうならない理由を当事者たちは反省しているだろうか。たぶん自分の落ち度と認めず、政府のせいにしているのではないか。
この種の問題を大きく取り上げるから、新聞が売れない。新聞の将来について、新聞人たちはかなり悲観的だと、私は知っている。大げさにいうなら、新聞は記事に命を懸けていない。表面でお茶を濁しているだけである。
今朝読んだ新聞で、イギリスに赴任した特派員の文章が載っていた。田舎町で花が咲き乱れ、「自然が豊か」だという。このブログを読む人なら、ものすごく違和感があるのではないか。人間が植えた花が美しいから、自然が豊かだという。アホか。新聞が売れるわけがないわ。
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