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ド素人の多数決で「感情裁判」時代がやってくる?
~『つぶせ!裁判員制度』井上薫著(評:荻野進介)

井上薫著、新潮新書、680円(税別)

  • 荻野 進介

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2008年4月11日(金)

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つぶせ!裁判員制度

つぶせ!裁判員制度』井上薫著、新潮新書、680円(税別)

 われわれ物書きにとって切実な問題である名誉毀損訴訟に興味をもち、ある裁判の傍聴に何度か通っている。恥ずかしながら、法学部出身のくせに、法廷に初めて足を踏み入れることになった。そして発見したのだが、裁判というのは想像以上にスリリングだ。被告人の口頭弁論など、言い古された言葉だが、下手なテレビドラマより面白い。

 黒い法服をまとった裁判長の口調は丁寧で、声量も大きくないが、有無を言わせぬ迫力がある。権力を笠に着て、というのはこういう人を言うのだなあ、と妙に感心した。

 でも自分が人を裁く立場になりたいか、といったら真っ平ごめんである。

 そんな志はなかったから、ひたすらアホウ学徒の道を突き進んで今があるわけだし、間違った判決を下して誰かの人生を狂わせた挙げ句、逆恨みでもされたらたまったものではない。

 しかし、世の中、何が起こるかわからない。あなたも私も、国家権力を背景に、本物の刑事被告人と対峙し、生死を含めた、その人の命運を左右する仕事につく可能性が出てきた。来年5月までに実施されることが決まっている裁判員制度によってである。

 同制度は、法曹三者(裁判官・検察官・弁護士)の現場の声とはまったく別に、小渕内閣によって設置された司法制度改革審議会による「国民の司法参加」という提言が発端となっている。

 死刑、無期懲役、無期禁錮といった重大な刑事事件の一審において適用され、この制度下で裁かれることを被告は拒否できない。ひとつの事件を9人で担当し、うち3人が裁判官、6人が裁判員である。評決(最終的な判決)は9人の多数決(5人以上の過半数)によるが、最低、1人の裁判官の同意を含まなければならない。

 裁判員は有権者の間から抽選という無作為方式で選ばれ、親の介護や自分の病気といった特別な事情をもつ人でなければ免除されず、いつ何時、指名されるかわからない。いわば現代の赤紙、召集令状なのである。

 しかも殺人事件を担当しようものなら、見たくもない、血みどろの現場写真を見せられ、耳をふさぎたくなるような凄惨な話を延々と聞かされる。おまけに、裁判員として関わった事件の評決内容を一言でも口外しようものなら、懲役刑に処せられる。死刑判決に関わる人ももちろん出てくる。「司法参加」どころか、「苦役参加」となる国民が多いのではないか。

プロが付くから大丈夫、といっても

 本書は、判事(裁判官)を10年勤めた経歴をもつ弁護士が、法律のド素人が裁判担当者となる、この制度の、数々の欠陥と違憲性を噛んで含めるように説き、一刻も早い廃止を訴える内容である。

 なぜ違憲なのか。そもそも日本は三権分立で、かつ国民主権の民主主義国家である。国民主権を実現するには、立法、行政、司法それぞれに、十分な民意が反映されなければならない。立法には、国会議員の選挙を通じて直接、行政に対しては、国会における内閣総理大臣の指名を経て間接的に民意が反映されている。

 唯一、民意が反映されていないように見えるのが司法である(最高裁判所長官に対する国民審査について、著者は触れていないが、あれは誰が見ても形式的なものだろう)。

 しかし、違うのだ。憲法76条に「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」という規定があるが、憲法と法律(この2つを合わせて法令という)こそ、民意の塊であり、それらに拘束されるという意味で、司法にも、民意は反映されている、というのが著者の主張だ。

〈憲法が裁判官に対し法令に基づく裁判を命じたのは、国民主権原理を司法の場に届かせるため(司法の民主的コントロール)であり、この法令に基づく裁判の要請が司法の民主的コントロールの手段として唯一のものである〉

 法令に基づく裁判をするためには、法令を知っていること、さらに言えば、最低限、法律の素養があることが不可欠だ。

 そのためには、殺人罪における「人」とは何か、といった法概念(例えば、胎児は人なのか否か)、字面は一致していても日常語の意味を超えて使われる用語(例えば、部屋でだけではなく、走行中のバイクの後部座席に無理やり乗せられた場合も「監禁」となる)、罪によって異なる保護法益(例えば、殺人の場合は人、放火の場合は公共の平穏)など、おさえておくべき事項は山ほどある。ああ、アホウ学徒も頭が痛い。

 いくらプロの裁判官が3人同席するとはいえ、毎回、無作為に選ばれる6人の裁判員には、こうした法律の素養が期待できないし、法令も知らない。その結果、法令に基づかない、基準なき裁判、どんな結論が出てくるかわからない裁判が出現するというのである。

 結局、裁判員制度の施行は日本の司法のあり方を大きく転換させることになる。法律のプロが、真相解明をめざし、慎重に証拠を検討し、事実認定を下す現行の刑事裁判から、真の盗人が誰だかわからないので、入れ札で犯人を決める江戸時代のやり方に戻ることを意味する、というわけだ。著者はこうも言う。

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