私が横浜高校野球部の密着取材をはじめたのは、ちょうど10年前のいまごろだった。
その年のセンバツ大会で、横浜高校は二度目の全国制覇を果たしていた。
エースはもちろん、現在はメジャーリーガーとして活躍する松坂大輔。ご存知ない方はいらっしゃいませんよね。あの年、松坂を擁した横浜高校は史上5校目となる春夏連覇を達成したわけですから。私は、横高が春の大会で優勝した直後から、松坂大輔というとんでもない怪物に密着していたのです。これはご存知ない方がほとんどでしょうけど。
スポーツ関係の取材は経験がなかったわけではないものの、一年以上も密着したのはあのときが初めてになる。それまで書いてきた事件モノとは違って、スポーツ取材にはスポーツ取材独特のやり方があるらしいのだが、私にそんなノウハウはない。
だから“無手勝流”にやらせてもらった。ここで言う無手勝流とは、戦わずして勝つという奥義のほうではなく、やりたい放題自分勝手にやらせてもらった、の意。自己流は得意中の得意なんです、わたくし。協調性がないもので。
密着取材をはじめたのは、松坂大輔という稀代の逸材に惹かれたからではあるが、横浜高校そのものが私には憧れだったからと言ってもよかった。私が高校生の時分、横浜高校は愛甲猛という、やはり大エースを擁して夏の甲子園で優勝している。高校球児でもあった私には、横高は憧れ以外の何ものでもなかった。同い年の大ヒーローに“大ちゃんフィーバー”を巻き起こした荒木大輔がいます。ハンカチ王子の大先輩ですね。ちなみに、この荒木大輔の甲子園での熱投を見て感動した妊婦が、お腹の子に大輔と名づけます。それが松坂大輔です。これは有名な話。
幸いにも大学が横浜だったこともあり、上京(正しくは上横、それとも上浜?)した私が最初に訪れたのは、山下公園でも港が見える丘公園でも元町でも中華街でもなければ、“ドルフィン”でも“スターダスト”でもなく、横浜高校野球部のグラウンドだった。そのくらいの憧れだった。だから、密着をはじめたころの私は、密着という名の追っかけをやっていた。追っかけが仕事になるんだから、ぼくってラッキー、などと思いながら。
参考までに、ドルフィンというのはユーミンの歌に出てくる喫茶店です。当時の横浜では有名なデートスポット。スターダストもまたサザンが歌った有名なバーで、埠頭の先端にあるのでロケーションも最高。ドラマ「あぶない刑事」のロケの定番でもありました。いずれも、よくデートで使わせてもらいました。ジュークボックスで「君の瞳に恋してる」なんてセレクトしちゃったりして。わかるわかる、そうだったよねぇと言われる方も多いと思います。青春の1コマです。が、ここは思い出に浸るところではない。横浜高校野球部の話だ。
横高野球部の部員たちは、とても恵まれた環境で練習していた。
両翼95メートルの独立したグラウンドには、バックネット裏にクーラーつきの記者室があり、屋根つきのダッグアウトがあり、外野フェンスの向こうにはバックスクリーンまであった。神奈川県予選の一回戦や二回戦が行われるほど立派なグラウンドなのです。名門校は違うよね、私が出た公立高校のグラウンドなんか……。
松坂がセンバツ大会で優勝した直後、彼の名前は広く行き渡ったものの、グラウンドに詰める取材陣の数はまだまばらだった。せいぜい4〜5人といったところ(春夏連覇の後はこれが50人以上にも膨れ上がります)で、スポーツ新聞のアマチュアスポーツ担当記者ばかりだった。テレビ局の姿はなく、もちろんフリーのライターなど1人もいない。それでも常時4〜5人の記者がいたわけだから、松坂の注目度がどれほどだったかはわかると思いますが。
そこで私は、いままで見たこともないような、奇妙な場面を何度も目撃した。
そのひとつ。スポーツ紙の記者さんたちは、誰ひとりとしてグラウンドに入らないのである。
横高の練習グラウンドには、内野フェンスの外にもOBや父兄が見学に来たときに座れるようにベンチが用意されているのだが、記者さんらはそのベンチに座って練習を見学なさっておられる。練習が終わって監督や選手が引き上げるとき、記者さんたちは監督や松坂を取り囲んでコメントを取るわけなのだけれど、それまではたいへんお行儀がよろしいのだ。
何度も通い詰めているうちに顔馴染みになった記者さんもいて、訊いてみると、練習の邪魔になるようなことはしないという配慮はもちろんあるにせよ、他方では抜け駆けもしないという“紳士協定”があるらしかった。
そこで、紳士でもなければ協定を結んだ覚えもない私は、お構いなしにグラウンドに入っていった。彼らには彼らのルールがあるのかもしれないが、私には私の流儀がある。これは大事なことですよ。
私がグラウンドに入り込む。ダッグアウトに入る。一応、監督や部長さんにお伺いを立てるが、咎められたりはしない。それどころか、あっちのダッグアウトのほうが日陰になっているから、向こうに行きましょうか、と勧めてくれたりもする。それでも紳士の記者さんたちは入ってこない。皆が一挙になだれ込んだら練習にならないからですけどね。
ノックを終えた監督や部長がダッグアウトで一息入れ、そのときに私は、いまやっている練習にはどういう意味があるのかとか(公立高校の野球部ではやったこともないようなレベルの高い練習をしているのです、名門校は)、松坂の仕上がり具合はどうだとか、どうやって彼をこんな凄いピッチャーに育てたのかといった裏話を訊く。
ときには松坂本人を呼んで話を訊く。スライダーの握り方や投げ方を教えてもらったりもする。好みの女の子のタイプまで訊き出す。いろいろと知ってるぞ、私は。書かないと約束したから書けないけど。
幸いにもダッグアウトには屋根があり、フェンスの外にいる紳士の皆さんに話が聞こえることはない。
私は入れ食い状態で話を訊き出した。スクープと呼べるほど立派なものではないが、そのころの私はネタに関しては独走していた。急ぐときは松坂の携帯電話に直接電話してコメントを取ってたくらいだし。松坂が“意中の球団”と言っていたのは横浜ベイスターズだが、彼が本当に行きたかったのは巨人だったことも訊き出した。
グラウンドに入らなかったスポーツ紙の紳士諸君は、横高野球部の宿舎にも絶対に入り込むということをしなかった。これも紳士協定らしい。選手の生活にまで入り込むのはどうかという配慮があるのはわかるが、紳士でもなければ協定を結んだ覚えもない私は、グラウンド同様に平気で宿舎にもあがり込んだ。
そして、監督の部屋にお邪魔する。話を訊く。真向かいにある部長さんの部屋にもお邪魔させてもらう。そこでも話を訊く。ひっきりなしにお邪魔して長居するものだから、そのうち食堂で晩飯を食って行けと言われたり、平気で部長さんの部屋で仮眠を取らせてもらったりするようにもなった。図々しいですよ、私。ほんとによく横になってました、あのときは。おそらく、紳士にはできないことです。
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