• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「1日も早く、向こうでゴルフをしたかった」---今田竜二(後編)

遊び場は山間の練習場「大人たちを負かすのが楽しかった」

  • 三田村 昌鳳

バックナンバー

2008年5月20日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 米ツアーを戦う今田にとって、原点とも呼べる場所が故郷の三原にある。市街から山道をしばらく車を走らせた山間にある『西野ゴルフ』は、今田が小学生時代のほとんどの時間を費やした練習場である。最後の坂を登りきる途中、ちょうど谷間に造られた小さなグリーンとバンカーが見えてくる。

 「ここは、竜二のロブショットのルーツといえる場所なんですよ。大人たちを相手に、練習場の屋根にロブショットでボールをぶつけられるか、なんて言いながら、よく競争していました。大人たちを負かすのが好きな子でねぇ」と練習場の大地辰夫社長は言う。

 今田から「おじいちゃん」と大地社長は呼ばれていた。そして夫人は、おばちゃん。竜二が小学生のころ、この練習場のすべての場所が遊び場であり、自宅同様の場所だった。学校が終わるとランドセルを背負ってやってきて、食堂で何かを食べてからクラブを握る。そして『猿谷』と呼んでいた小さなグリーンとバンカーのある場所へ行く。

 「ここでいろんなショットをして遊んでいたんですよ」とおじいちゃんは、楽しそうに言った。「あるときは、バンカーの中に座り込んで、グリーンを枕代わりにして寝ちゃったりしてね」と、おばちゃんは笑う。父親が車で迎えに来るのは夜10時ごろ。でも、竜二は家までの3キロの坂道を走って帰るのを日課にしていた。

 当時、今田が書き記したノートが2冊ある。そこには幼い字で日にちとコース名、それにアウト・イン・トータルのスコアが、ぎっしりと記されている。『初の30台。京覧CC、39・51・90』と書いたのは小学4年生のときだった。

 14歳までのゴルフ環境は、決して完備されていたわけではない。『西野ゴルフ』練習場とは別に、市内のラーメン屋の裏にある練習場にも通っていたが、そこのマットは知り合いの練習場で使い古したものだったし、ボールは団子ボール。ネットには、ジーンズの生地が洗濯物のようにいくつも垂れ下がっている。今田はそこでボールを打っていた。

 父親の隆史さんは言う。「それでも、ある意味では恵まれていました。たくさんの人が温かい目で竜二を見守ってくれましたから。『父親は口をだすな』というのがみんなの口癖で、私は何もしていないんです(笑)」。

 興味深いのは『西野ゴルフのおばちゃん』の証言だ。「私と一緒にラウンドすると、竜二はフェアウェイに打たないんです。『今日は僕、バンカーに入れて、スコアメイクしてみるよ』って言うんですよ」 。

 当時、おばちゃんは100を切れる程度の腕前。そのおばちゃんと一緒に回るときは、例えば、18ホールすべてフェアウェイバンカーからグリーン回りのバンカーを狙って打つなどして、スコアを作っていた。直線的でない、様々な状況を想定して、ゲームマネージメントのイメージを広げる。今田は早くからそれを習得していたということになる。

コメント0

「Human Inside--ヒューマン・インサイド」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

機械を売るんじゃなくて、電気が欲しい方に電気が起きる装置をソフトも含めて売るビジネスをしていこうと。

田中 孝雄 三井造船社長