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名門「廣野」を創った人々---廣野ゴルフ倶楽部(前編)

C・H・アリソンからクラブハウス建築家 渡辺節まで

2008年5月21日(水)

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 米国ゴルフ誌『ゴルフマガジン』が選ぶ「世界の名コース100選」で常に30位台(2006年では国内コース中、最高ランクの37位)に入る日本の名門「廣野GC」は、創設当時からメンバーが「Play golf at Hirono, and die」(廣野を見て死ね)を合言葉にしていた。

 コース創設初期、ホールにつけた愛称に「ぺブルビーチ」(12番ホール)、「パインバレー」(13番ホール)があることからも、世界の名コースに匹敵するとの自負と誇りを誇示する姿勢が窺える。そこには、神戸在住エリート財界人たちの欧米文化に対する広い見識が覗いている。

 自然を素材にして「良いコースを持つクラブを創ろう」とするには「天・地・人」の三位一体が不可欠だろうが、日本のゴルフ発祥地の神戸にはその三拍子が揃っていたことも幸いした。

米国の名コース、「パインバレーGC」の14番に似ていることから<パインバレー>と名付けられた13番、パー3。この前の12番が距離を延長した結果、ティが西へ移動して、ティショットの角度が大きく変わった。

米国の名コース、「パインバレーGC」の14番に似ていることから<パインバレー>と名付けられた13番、パー3。この前の12番が距離を延長した結果、ティが西へ移動して、ティショットの角度が大きく変わった。

 「地」とは舞子GCに参加していた会員たちが九鬼隆輝子爵の所有地を偶然に発見したこと。「天」とは昭和初期の不況期にもかかわらず、コース 建設資金を集めるだけの財力ある神戸の財界人が中心にいたこと。「人」とはコース設計を任せる英国人設計家、C・H・アリソンが東京GC朝霞設計のために来日していたことなど、偶然の幸運が重なったのである。

 当時、12ホールという変則コースだった「舞子」に飽き足らず、「良いコースを創ろう」と造成に参加した高畑誠一(初代キャプテン)や伊藤長蔵(創設会員)などは英米の名コースでのプレー体験や知識があった。

 高畑は鈴木商店(後の日商岩井)のロンドン支店長として15年間の滞英中にゴルフを覚え、「サニングデールGC」(H・コルトがここで支配人をしていた時代にニューコースを設計)などに日参していたし、日本で最初のゴルフ誌である「ゴルフドム」を発行した貿易商の伊藤は大正14年に、大谷尊由(大谷光明の実弟)、赤星鉄馬(四郎・六郎の兄)らと渡英して名リンクスを行脚した経験があった。        

 ただし、日本のジャーナリストとして著作の多かった伊藤は、英米名手の技術論をまとめた著書「Golfer's Tresure」(原本は廣野ゴルフミュージアム所蔵)をその時にロンドンで発行しようとして、著作権侵害が発覚するというミスショットを犯したが。

アリソンの設計図面に見る洞察力と感性

 昭和5年の12月に来日したアリソンは、東京・朝霞の設計図を描き上げ、米国から招聘したG・ペングレース(造成責任者)に現場を任せていたころ、滞在中の帝国ホテルにひとりの男の訪問を受ける。1/1200の測量図面を手にした高畑誠一である。そして、「現地を視察して18ホールの配置図を作成してほしい」と要請される。

 さらに「設計料は500ポンド、もしもその図面が認められ、詳細設計までいくとしたらさらに1000ポンド」という契約交渉はさすが辣腕の商社マンらしく、東京・朝霞の設計料1500ポンド(邦貨1万8000円・滞在費込み)を参考にした緻密な計算があったようだ。

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