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だけど、メリーゴーラウンドは守られた~『なぜ、子どもたちは遊園地に行かなくなったのか?』
白土健・青井なつき著(評:栗原裕一郎)【奨】

創成社新書、800円(税別)

  • 栗原 裕一郎

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2008年5月27日(火)

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なぜ、子どもたちは遊園地に行かなくなったのか?

なぜ、子どもたちは遊園地に行かなくなったのか?』白土健・青井なつき著、創成社新書、800円(税別)

 横浜ドリームランド、向ヶ丘遊園、行川アイランド……、ある世代以上にはなじみの深い遊園地、テーマパークだ。しかしみな、2001年から02年にかけて閉園してしまった。渋谷の東急文化会館最上階にあった五島プラネタリウムも、役割を終えたとして2001年に閉館している。2005年には小山ゆうえんちも45年の歴史を閉じた。

 1983年の東京ディズニーランド(TDL)のオープン以降、民間と地方公共団体のタッグ、いわゆる「第三セクター」により雨後の竹の子のように全国各地に開設されたテーマパーク類も、2001年の段階で37カ所が経営破綻し閉園したという。

 2001~02年は「遊園地、終わりの季節」として記憶されてもいいくらいの勢いである。

 第三セクターのテーマパークはさておき、これらの老舗遊園地が開園したのはおおむね1960年代。「三丁目の夕日」(いい映画でしたね)で描かれたような、高度成長期にまさに差しかかろうとしていたあの時代だ。

 本書は、そんな遊園地たちの栄華盛衰、すなわち誕生から終焉までの歴史をコンパクトにまとめたものである。すでにあげた以外に、ややローカルな多摩川園(79年閉園)、二子玉川園(85年閉園)、船橋ヘルス・センター(77年閉園)も取り上げられており、上野動物園のおサル電車、デパート屋上遊園地の元祖などもフォローされている。

 どの遊園地にも、何らかの理念や展望のもとに「よし、つくるぞ!」と一念発起した創業者がいて、建造後はおもに経営をめぐる波瀾があり、閉園後には次の運命(広大な敷地がどのように再利用されているかなど)が待っている。

 考えてみれば当たり前のことなのだけれど、遊園地の一生に秘められたドラマなんてこの本を手にするまで想像すらしたことがなかった。比較的淡々と事実が語られていくのだが、それでも涙腺が危なくなったところがあった。歳ですかね(笑)。

 いくつか具体的に見てみよう。意表を突かれるのは小山ゆうえんちだ。

 遊園地を建造するなんて大事業だから、たいてい、鉄道会社が母体だったり都市計画の一環だったりするのだが、小山ゆうえんちをつくったのは、なんと、まったくの個人なのである。しかも、どこの誰だか素性がまったく不明だというのだ。

 わかっているのは名前だけ。林卯吉郎という人物である。この林さんが1960年、約10万平方メートルもの敷地に「花の楽園」という名で開園したのだが、オープン時すでに、園内にモノレールがあったそうだ。

〈あの頃、すでに開業していたあの向ヶ丘遊園でさえ(向ヶ丘遊園の経営母体は現在の小田急電鉄──引用者註)、モノレールを導入したのは1966年(昭和41年)のことなのだ。それを考えると、当時、日本でもかなり珍しいものであったはずのモノレールを、自費で設置してしまった林卯吉郎とは、一体、何者だったのかと考えてしまう〉

ディズニーランドを本気で目指した「横浜ドリームランド」

 小山ゆうえんちは1992年に一度、倒産している。そのときに資料が失われてしまって、林卯吉郎にかんするデータが何も残っていないのだという。経営陣も総入れ替えしたというからそのせいもあるのだろうが、それにしても創業者のプロフィールがまったく伝えられていないというのはすごい話だ。おまけに、それほどの財力を誇った人物がまるっきり無名。ほとんどミステリーである。

 倒産後、同園を運営していた思川観光株式会社はダイエーの支援のもと立て直しをはかり、2000年に再スタートしたが、今度はダイエー自体が経営不振におちいり2002年にスポンサーから撤退。

 しかし、その間に温泉(!)を掘り当てていた思川株式会社は「小山温泉 思川」を併設してリニューアルを果たす。集客にはそれなりに成功したものの、2005年に力尽き、営業権を株式会社ヨークベニマルに譲渡、小山ゆうえんちは閉園した。現在は「おやまゆうえんハーヴェストウォーク」という大型商業施設になっている。

 横浜ドリームランドは、日本にもディズニーランドを! というコンセプトでつくられたものだった。コンセプトというと聞こえはいいが、ようするにパクったわけだ。とはいうものの、総敷地面積132万平方メートルと本家ディズニーランドのじつに3倍で世界一の規模、総工費が開園当時1964年の金額で200億円というから、とてつもなく壮大なプロジェクトである。

 そんな無茶を思い立ち実行に移してしまったのは、松尾國三という男。興行師から伸し上がった立志伝中の人物で、ドリームランド開園の直前は、経営不振に苦しむ大阪新歌舞伎座を持ち主である松竹から任され再建に臨んでいたが、アメリカ視察旅行中の1955年、オープンしたばかりのディズニーランドに魅入られ「これだ!」と発起したという。

 松尾は貧しい農家の三男坊で、小学校にもろくに通わぬうちから興行の世界で働きはじめた。学歴がないせいで苦しめられた過去と、戦後、子供たちが生き延びるために悪行に手を染めている姿に心痛めたことが、遊園地創設という決意に結びついたのではないかと著者は推測している。

 松尾は1957年に財団法人松尾育英会を設立している。次いで取りかかったのがドリームランドだった。つまり、知識と情操、両面の教育で子供たちをバックアップしようと考えたのだ。ドリームランド開設時の謳い文句は「科学と芸術の粋を集結した世界一の教育環境遊園地」だった。

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