英語の上達方法をコーチする“英語本”は、なぜ音読にこだわることが多いのだろう。
前回お話ししたように、5月30日に、私の新しい著書『英語ベストセラー本の研究』(幻冬舎新書)が刊行された。この本を書くために、私は戦後60年間のベストセラー英語本を10年刻みで選び出し、それらがなぜ何十万、何百万の読者に熱狂的に受け入れられたのかを分析した。扱った本は23冊だが、目を通した本はその倍以上にのぼる。今回は、それらの本を通して最も人気の高い学習法である「音読」に焦点を当てて書いてみたい。
今から40年近く前の1970年に、同時通訳者として名高い國弘正雄氏が『英語の話しかた』という本を著し、非常に骨太の内容にもかかわらず、75万部を越える大ベストセラーとなった。この本の中でいちばん注目を集めたのは、「只管(しかん)朗読」という國弘氏の造語だった。
「只管打座」ならぬ「只管朗読」とは?
これは、道元の「只管打座」にヒントを得た言葉で、「ひたすら朗読(音読)する」という意味だ。彼がこの学習法を知ったのは、中学1年の時に習った英語の先生からだったという。「英語を習う一番よい方法は、中学1年のリーダー、さらに2年3年のリーダーを声に出して、繰り返し、繰り返し読むことである」と教えられたのである。
「当時の私は非常に純真な生徒でしたから木村先生のいわれることを実に愚直なまでに実行したのです。時あたかも戦争中で、今とちがってテレビもなければラジオ講座もない諸事不便な時代でしたが、幸い教科書だけはありました。そこで、これを声を出して繰り返し読んだものでした。おそらく1つのレッスンについて500回ないしは1000回も読んだだろうと思います」と國弘氏は語る。
この超人的な教科書の音読が、のちに彼の英語を余人の及ばぬ域にまで高める素地となったのである。
この「只管朗読」に対する反響はきわめて大きかった。『英語の話しかた』から29年経たのちに出された続編の『國弘流 英語の話しかた』では、この只管朗読に対する考察がさらに深まり、英語学習書の白眉と言うにふさわしい書物になっている。
『國弘流 英語の話しかた』の中で「只管朗読」の基本的なやり方を詳述している箇所を要約してみよう。音読が次第に深化(進化)していく様がよくわかる。
- 只管朗読の必要に目覚め、テキストを決める。
- テープ(今ならCD)を聞き、テキストの意味を理解する。
- 単語レベルの発音をクリアする。
- つっかえずに読めるようになる。
- 次第に構文的な切れ目がわかってくる。
- 日本語に頼らずに意味が文の先頭から自然にとれる。
- イメージが生き生きと実感できる
- 朗読していて、自然さと楽しさが感じられる。
- テキストの例文の応用可能性にどんどん気づく。
- 自分の英語力が広がっていく可能性を実感する。
これは、やり方を述べているというより、國弘氏自身が体験したことをそのまま書いていると言ったほうがいいだろう。苦行として音読を続けていたのではなく、いかに音読を楽しんでいたかが伝わってくる。徹底した学習は、言い知れぬ喜びをもたらすものだ。
彼は、暗記を目的として音読せよとは決して言わない。それと同様、今かかげた10項目も、目標として示しているのではなく、「100回、200回と音読を続けていくと、最後には必ずこのような境地に達するよ」といざなっているのである。昔の日本人が素読を通して漢文の素養を深め、やがて自分でも自由に文が書けるようになっていったプロセスとよく似ている。
英語学習の道しるべがここにあった
前回の稿の中で、先人から授かった知恵のひとつとして紹介した次の一文、「英文を理解(和訳)するのが最終目標ではない。理解の後、音読を繰り返して知識を内在化させなければならない」というのは、國弘氏から学んだレッスンだったのである。
ひとことで言うなら、復習(音読)こそ真に力のつく学習なのであり、理解や分析は音読への助走に過ぎないということだ。言い方を変えれば、学習は予習なのであり、復習が学習のコア部分なのだ。これは、学習に関する「コペルニクス的転回」と言えるかもしれない。
さて、國弘氏は1999年に『國弘流 英語の話しかた』を公にした翌年、音読用のテキストを自ら編んで世に問うている。それがベストセラーとなった『英会話・ぜったい・音読』である。同書の序文の中に、「音読」を理論的に掘り下げた文章があるので、以下に要点をまとめておきたい。これは、英語学習について考えるすべての人の確かな道しるべとなるだろう。
ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。










