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無名作家たちの生き様を見よ~『のたれ死にでもよいではないか』
志村有弘著(評:栗原裕一郎)

新典社新書、800円(税別)

  • 栗原 裕一郎

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2008年5月30日(金)

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のたれ死にでもよいではないか

のたれ死にでもよいではないか』志村有弘著、新典社新書、800円(税別)

 著作タイトルの「のたれ死にでもよいではないか」は藤澤清造を扱った章の題をそのまま生かしたものだが、藤澤の言葉ではなく、「のたれ死に」という彼の死に様に対する著者の感慨を表わしている。

 藤澤清造は43歳で「のたれ死に」した私小説作家である。精神に異常をきたし行方不明になり、芝公園で凍死しているところを発見された。発見時は誰だかわからず、埋葬後に藤澤であることが判明したという。

 本書は、藤澤のほかに、大泉黒石、森清秋、永見徳太郎、種田山頭火、松原敏夫という6人の作家を取り上げたものだが、山頭火以外はいずれも忘れ去られた、あるいはそもそも知られていない作家といってよく、みな貧窮にあえぎ、ろくでもない死に方をしている。著者は「それでもよいではないか」というわけだ。

 忘れ去られた作家といっても(山頭火除く)、文学史的に見た場合の重要度にはやや差がある。

 森清秋、永見徳太郎は長崎の郷土詩人と作家で、著者の思い入れから取り上げられている気味が強い。山頭火はよく知られている存在なのに掘り下げが浅い。

 本書で見るべきは、大泉黒石、藤澤清造、松原敏夫の三者ということになるだろうか。

 冒頭で触れたので、藤澤から見ていくことにしよう。

 この本以前のごく最近、藤澤清造はちょっと有名になっていた。芥川賞候補にもなった私小説作家・西村賢太が傾倒ぶりを書いたためだ。

 石川県で生まれた藤澤は18歳で上京後、安野助多郎という友人をとおして、徳田秋声、秋声の代作をよくしていた三島霜川と知己を得、雑誌『演芸画報』の仕事をするようになった。

 しかし、人に頭を下げるのが嫌いで依怙地という性格ゆえ社長と衝突して退社。その直後、32歳のときに処女作『根津権現裏』(大正11年)を書く。友人・安野を登場させた私小説である。

 著者は、榊山潤『馬込文士村』(東都書房、1970年)という文壇回想録にある「たぶん多くの読者は、この小説を半分も読まずに投げ出すだろう。惨苦と不潔ばかりのこんな人生に、我慢してお附合いする義理はないからである」という評を引き、そのとおりの小説だといっている。私も読みかけたことがあるのだが、まったくそのとおりの小説である(笑)。

 『石川近代文学全集5』(石川近代文学館)に同作の抄録と評伝・解説が載っていて、そこにも「その内容のじめじめした暗さや退屈さからして、文壇の評価も余り芳しくはなかった」と書かれている。

 しかし、田山花袋、島崎藤村など自然主義の作家は、藤澤のこの作を高く買っていたという。同作が発表された大正11年(1922)は自然主義の嵐が過ぎ去ってしばらくあとになる。もう十数年早かったら、藤澤清造は文学史にきっちり登録されていたかもしれない。

 「半分も読まずに投げ出すだろう」といった『馬込文士村』には続きがあって、

「だが、藤沢はそういう人生、自分でもやり切れない人生に焦点をあて、それを再現しようとしたのだ。読者が途中で投げ出すのは、藤沢の再現様式が的確であったからで、これは成功といえる。が、そういう成功は飯の種にはならない。(中略)残念ながら藤沢は、歓迎されない才能を持った、不運な作家の一人であった」

 と藤澤の不幸な才能を称揚している。そういう才能をあえて生きなおしてみせている西村賢太がそこそこ売れっ子であるという事実は、歴史(文学史)というものの不合理さをちょっと感じさせる。

「話さなかった話」が起こした論争

 松原敏夫は、本書のなかでももっとも知られざる作家だろう。〈文学の世界に身を置いていた人ならともかく、おそらく文学と無縁の人は、誰も知らないのではあるまいか〉と著者は書いているけれど、文学関係者にもほとんど知られていないのではないか。なにしろ松原の執筆の場は『ふらて』という個人誌だったのだから。

 そこに発表した短編小説「話さなかった話」が話題の中心なのだが、たしかに興味深く、記録されてもいいエピソードである。

 「話さなかった話」はこんなストーリーだ。

 子供のころ「私」は父に連れられ城崎温泉に行った。温泉で、父が知らない人から話しかけられていたので、誰かと訊くと「××という東京の人じゃ」と答えた。「私」には「××」が「曽我」と聞こえた。

 数日後、使いに町に出ると、川に人だかりができている。見ると、川に、串に横刺しにされたネズミがいて、人々が石を投げていた。「私」も面白半分に石を投げたりしていたが、ふと横に曽我さんがいることに気づいた。曽我さんはネズミを凝視していた。

 歳月が経ち、志賀直哉の『城の崎にて』にある串刺しネズミの場面を読んだ「私」は、「曽我さん」とは「志賀さん」だったのではないかと思いいたる。

 著者はいたく感動し、『城の崎にて』の描写が事実であることを示す重要な作品で、志賀文学研究に一石を投じるものだと褒めた。藤枝静夫や阿部昭といった作家も文芸誌などで「興味ある挿話」と紹介したのだが、この「話さなかった話」、じつはまったくのフィクションだったのである。

 これに怒った私小説作家・尾崎一雄らが批判を出す。こういう作り話は「文学史的に人に嘘を教えることになる」からいかんというわけだ。それに対し、小説をただちに事実と思いこむほうがどうかしている、松原の才能を褒めるべきだろうといった反論が新聞の匿名コラムから出て、ちょっとした論争になったそうだ。

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