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『その日本語が毒になる!』吉村達也著、PHP新書、700円(税別)
「訴状が届いていないのでコメントできない」
よく新聞などで目にする台詞である。
すっかり耳になじんでしまっているこのフレーズに、著者はこう疑問を投げかける。
〈しかし、何日か経って「そろそろ訴状は届きましたか」と報道陣が再確認したという話は聞いたことがない〉
こんなことだから、その場しのぎの嘘がまかり通ってしまうのだという。著者はベテランのミステリー作家で、本書はネット時代の言葉の使い方、コミュニケーションの齟齬を話題の中心に据えている。
紹介されているように、世の中には、よくよく考えると、おかしな言い回しがたくさんある。
「言った言わないの水掛け論はやめましょう」
押し問答の論争に決着をつけようとする、冷静な第三者のふるまいに見えたりするが、切り出すのはたいがい形勢不利な側で、白黒つけずドローにもちこもうとするときに用いる力業となる。ウンザリ「やめましょうや」と、語尾に「や」をつけたりすることが多い。
ほかにもハレンチな事件のたびよく使われる、「子どもになんと説明したらよいか」。
コメンテーターからこの一言が出たら、これで話は幕。段取り言葉と化してしまっているが、著者はこう記している。
〈大人の世界の出来事を、幼い子どもにわかりやすく説明する習慣を持っている親ならば、こんな言い方は絶対にしない。自分の子どもにどう説明すればよいか、と世間に訴えるのは、大げさに言えば親の義務を放棄しているようなものだ〉
たしかに。ごもっとも。
それでも「なんと説明したらよいか」で話をまとめた気分の人たちは、真正面からツッコまれると反論したくなるだろう。「わかってない」「ちがうんだ」と。
本書には、思いもよらない新発見が詰まっているわけではないが、「そうそう」とか「そうか、なるほどなぁ」と、日ごろの溜飲を下げるものが多い。ときに、ドキッともさせられる。ワタシが背中を伸ばしたのは、こんな指摘だ。
〈カタブツで生真面目なインタビュアーほど、聞きにくい質問をするとき、やたらご機嫌うかがいの前置きが長かったり、相手の反応に対して、「そ、そ……それはつまりアレですか」とか、「え? ど、ど、どういうことなんでしょう」のように、決して緊張からつっかえるではなく、自分のたじろぎやうろたえを必死にアピールするために、わざと吃音調になる〉
意見が一致しないのが対話の前提
インタビューの仕事をしているワタシも身に覚えがある。「わざと吃音調」というのは耳が痛い。
わざとではないんだけど……。心の中で言い訳を捜し始めたものの、演じるというほどではないにしても、アピールしていたのかも。それも一度や二度でない。意識しなくなるくらいにやってきた。
ボス猿に寄りそい毛づくろいする手下の猿の姿が浮かんできて、自分に赤面してしまう。自分を一段下げ、相手をたてる。好感をもたれようとしてしがちな態度を、著者は「日本語民族の最大の勘違いだ」と指摘する。
基本的に、「対話」は「会話」とは異なる。価値観が違うもの同士の間で交わされるものが対話であって、もとよりすべての意見が一致することなどありえない。
違って当然。だから、意見が違うことを恐れる必要はないし、「感じのよさ」だけで切り抜けようとすると、逆に不信感を抱かせることとなる。
人間というのは均しく「心の狭い生き物」であって、本来分かり合えなくても不思議はないという。
〈私たちは、自分の考えがいちばん正しいと思って生きている。だから、持論と異なる他人の意見は概して不愉快に感じる。これは本能だ〉
個人のブログが匿名のコメントで「祭り」になったり「炎上」してしまうのは、「心の狭さ」を表わす一例である。著者がいうように、ネットのグルメサイトや映画批評サイトを検索してみれば、ある人が感動に涙したと語るポイントを、あとの人はコケミソに罵倒する。
一本の映画で、「言いたいこと」の賛否が真っ二つに分かれるのは稀でない。こうした現象はインターネットの普及によるものだが、これを手がかりに著者はこんな見方を提示する。
〈私たちは、世の中には自分とまったく感性の異なる人たちが住んでいるのだという事実を、否応なしに認識させられるようになった〉
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