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大学が「役に立った」わけ~『バカと東大は使いよう』
伊東乾著(評:麻野一哉)

朝日新書、740円(税別)

  • 麻野 一哉

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2008年6月25日(水)

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評者の読了時間3時間00分

バカと東大は使いよう

バカと東大は使いよう』伊東乾著、朝日新書、740円(税別)

 以前、みのもんた司会の「愛の貧乏脱出大作戦」というTV番組があった。流行らない飲食店をテコ入れするというドキュメンタリーっぽい内容で、ラーメン屋の内装をかえたり、怠け者の店長の心を叩き直して、大繁盛の店に変身させていた。

 評者はこの番組をずっと見ているうち、流行ってない店には、ある共通点があることに気づいた。それは何かというと、「意味のないモノ」が必ずといっていいほど店内にあることだ。

 たとえば広くもないカウンターに大きなダルマが置いてある。別にダルマがテーマの店でもないし、装飾でもなさそうだ。何年前に置いたのか、ホコリだらけになっている。おそらく当初は願掛け程度の意味はあったのだろうが、今となっては、邪魔なだけだ。

 トイレに入ると、「タオルはきれいに使ってください」という貼り紙がある。しかし、そこにはジェットタオルが設えられていて、タオルなどとうにない。あるいは、もう映らないからどければいいのに、なんとなく食器を置く台のようになってしまっている14型のテレビ……。

 どんなものにもルーツがある。しかし、いつしか忘れられ、意味を失い、不合理だけが残ってしまう。注意しないと、これは誰にでもどこででも起こり得る。

 本書の著者・伊東乾氏は、東京大学で教鞭をとりつつ、当NBonlineで、「世間の常識のルーツに隠された意外な真相を解き明かす」という主旨のコラムを書いている。本書でも、大学とはなんぞや、どうあるべきか。産卵時の鮭のごとく、ぐいぐいと大学のルーツへと遡っていく。

 まずは、日本の大学の頂点、東京大学のルーツだ。

 東京大学とは何か。本質は「官吏養成の最高機関」で、設立の根本目的は「富国強兵・殖産興業」である。設立当初の学部は6つ。そのうち4つは理系で、

 理学部=先進科学輸入部
 医学部=先進軍事医学輸入部
 工学部=軍事産業技術輸入部
 農学部=植民地経営技術輸入部

 これに文系の、

 法学部=官僚養成部
 文学部=先進学術輸入部

 が加わったという。著者いわく〈まさに「帝国(主義)大学」というべきだろう〉

 官吏養成と富国強兵。この二つをルーツにもった結果、どうなったか。

「大学に罪なし」の神話

 まず、官僚養成のための教育、いわゆる「官学」は、実社会で役立つノウハウを教えるものではなかった。特に旧制帝大の文科(文系)では、江戸幕府の昌平坂学問所の教育方法が受け継がれ、〈講義を一言一句「正確に」ノートして記憶し、期末試験でそれをいかに「正確に」再現できるかで競われた〉という。

 現代の受験勉強そっくり。効率重視の姿勢である。しかし、単独の教科を効率よくこなすだけでは、現実を生きていくことはできない。基礎を身につけたうえで、各教科をまたいだ「知識の活用能力」を養うのが、本来の大学での学問であるべきだ。

 とはいえ、明治初期は、先を行く西洋に追いつき、追い越すためには、この教育方法がベストだったのだろう。教科書を丸暗記し、必死で学んだ結果、日清・日露戦争の頃までは、富国強兵策は成功していた。しかし、東大を頂点とする帝国大学の教育方法は、その反面、現実を見ない官僚主義的な人材を政権の中枢に送り込むことになる。

 多くの日本人がそうであったように、著者の両親も、戦争で非常な苦しみを受けた。父親はシベリアに抑留され、毎日死んでいく戦友を埋葬した。爆撃を受けた母親は、体の3割が炭化し、片手片足がほとんどとれかけたという(後に奇跡的に回復する)。

 大学教育を受けたエリートの中でも、理系の官僚による被害は少なかったようだ。科学に国境はなく、また空理空論だけでは成り立たない。しかし、文系の官僚の害は多く、「とりわけ陸軍大学卒の若い高級士官が無謀な作戦を強硬に主張し、日本を破滅に導いた」という。

 著者は、第二次大戦時の大学の責任を強く問う。〈「富国強兵」を念頭に設立された日本の大学は、戦争を学術面から支えた責任を負っている〉。しかし、戦後GHQの方針で、大学は存続し、〈戦後語られた「一億総懺悔」は大学には実質的には適応されなかった〉と。

 責任を取らせてしまうと、日本の大学組織すべてが壊滅する。それを避けるためというのが主な理由だが、結果、「大学の無謬性」というものが残ってしまった。何があっても、大学は悪くないという神話だ。

 昨今、大学内で起きているセクハラ事件なども、教授会の発表はマユにつばつけて聞くべきだという。そこで行われているのは、江戸時代の「お白州」のようなものらしい。とにかく体裁を整えて、悪者を作り上げ、大学そのものに罪はないとする、そのためだけの発表なのだと、大学組織内部に詳しい、著者は警告する。

 ちなみに、こうした体質は大学そのもののルーツにも関係するようだ。もともと西洋の「大学」は、ローマ法王から承認を受けた修道院学校を起源に持つ。そのため、大学は、学問の探求は行うが、最終的な責任はローマ法王に帰属することになっていた。そのノリが今も尾をひき、〈何か事件があると大学教授は徹底して「大学は無謬」という態度をとる〉のだとか。

 さて、そうはいっても、帝国(主義)大学の影響は負の側面ばかりではない。

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