人が少ないのはいいことである
ラオスの人口は、ほぼ六百万人。隣の二つの大国、ヴェトナム、タイと比較すると、十分の一以下である。なるほど居心地がいいわけ。人が有り余った現代では、国土に余裕がある国に属する。
ヴィエンチャンから北に二十キロほど移動して、山の上から見ると、遠くの山並みに至るまで、なんと人工物が一つも見えない。見えるものは、ただ樹木と地面ばかり。こういう経験はほとんど生まれてはじめてではないか。カメラマンの柳瀬さんが同じことを述懐していた。

人口600万人のラオスの風景
ブータンも好きだが、ここはさらに十分の一近い人口しかない。人口八十万、面積は四国と九州をあわせた程度。福岡市にもならない人口が、その範囲に広がっていたら、いくら山がちでも地面に余裕がある。
70年頃に、オーストラリアに留学していた。当時のオーストラリアの人口は八百万、それがいまではほぼ三倍に近い。
考えてみれば、私は人が少ないほうに行くクセがある。日本人だから、そういう場所にあこがれるのか。
可住面積あたりの人口密度は、日本は明らかに世界一である。つまりは人が多すぎる。それでも暮らしていられるのは、それなりのノウハウを社会的にしっかり築いてきたからである。それには江戸時代という閉鎖環境がきわめて有効だった。世間の常識というものを作り出したのは、江戸時代である。モッタイナイという言葉が、それを代表している。アメリカ英語に入れたい言葉の一つではないか。
江戸末期には、日本の環境資源は限度に達していた。だから開国すると、とたんに人口が激増する。文明開化にはそういう意味があった。海外から資源が流入したのである。
神戸の六甲山は、江戸の末期には禿山である。いまは新幹線のホームにまで、樹木が伸びてきそうな勢い。これは石油のおかげで、樹木を伐採しないで済むからである。文明開化は環境を破壊したが、他方では森林を維持してくれた。ラオスの焼畑を見ていると、しみじみそれを感じる。石油が無くなる世界では、森はどうなるだろうか。エネルギー問題は環境を維持するための最大の課題である。温暖化なんて、エネルギー問題の副産物の一つに過ぎない。
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