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長崎から江戸まで、象が歩いた

『享保のロンリー・エレファント』薄井ゆうじ著 岩波書店 1900円(税抜き)

  • 松島 駿二郎

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2008年7月25日(金)

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『享保のロンリー・エレファント』薄井ゆうじ著

『享保のロンリー・エレファント』薄井ゆうじ著

 安南(タイ国)からの唐船が長崎に到着したのは、享保13年(1728年)6月13日だった。その唐船の船倉には、安南から載せられた雄雌2頭の象が収まっていた。

 長崎の海から象を陸揚げするのが大変だった。船と波止のあいだに、長崎中の人夫が集められ、突堤を築いた。この象は、時の将軍徳川吉宗が所望したものだった。

 それにこたえて長崎に到着した象の運命を、長い道中でのエピソードを、短編小説のように連ねたのが本書。

 南蛮からの情報は、幕府には細々と伝えられていたが、庶民にはあずかり知らぬこと。巨獣を見たことのない沿道の庶民たちの反応が面白い。

 長崎に到着した象のうち牝象が原因不明のまま死んだ(たぶん日本の寒さのためか)。残る1匹は長崎で冬を越した。南蛮の動物は寒さに弱いだろう、という配慮からだった。

 象の長崎出立は翌年3月となった。象の通り道に当たる諸藩には細かな布令が出された。内容は詳細をきわめた。

 牛馬を遠ざけよ。道を普請し小石を取り除け。寺の鐘は鳴らすな。用意する象の食べ物は莫大だった。大量の新鮮な水、藁100斤、笹の葉150斤、草100斤、饅頭50個。誰もがその量の多さに驚いた。でも象は将軍様のもの、あだやおろそかには出来ぬ。強い好奇心も手伝って、恐れ多い象の通り道には、見え隠れして大勢の人々の目があった。

 象は東海道ではなく「姫街道」を通った。いわゆる中山道である。

 巨大動物は江戸に入ると浜離宮に納められた。武蔵野一円の農夫に、米作ではなく藁や笹の葉の持ち込みが命ぜられた。藁と笹の葉を積んだ大八車が列をなした。

 徳川吉宗は嫡男(次の将軍家重)とともに浜離宮の象を訪れた。発達障害気味の家重を、吉宗は心から心配していた。「父上」の一言も言えなかった。

 吉宗、家重親子は浜離宮に象を見に行った。そして象と対面した。薄ノロだと陰口を囁かれていた家重は、象の背中に乗った。象の背中の上で家重ははっきりと「ちちうえ」と叫んだ。吉宗は心から喜び、将軍家もこれで安泰だと、肩の荷を降ろした。

 象はその後、あまりにも大食いのため持て余される。それでも、歌舞伎の演目(象引)に取り上げられたり、江戸になくてはならない人気者になり、12年もの長期に渡って、江戸住まいをする。

 時代はやがて吉宗の享保から、家重の延享へと移り、江戸の安泰は続いていく。

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