映画監督・宮崎駿さんの基本的な考え方は、「子供」が最高の存在で、大人になるに従ってつまらない存在になっていくというものだ。老荘思想でも5歳くらいの子供がもっとも完成されているといった考えがある。子供には「いま、ここ」しかない。余計な知識や理屈ではなく、「いま、ここ」の何かをつかむ。それが宮崎さんの創作の原動力になっているのだと、つくづく感じた。
こんなエピソードがある。知人の子供が遊びに来たとき、いろいろ案内してあげて、帰りに駅まで車で送ってあげた。そのとき「そうだ、こういう子供はサンルーフを開けてあげると喜ぶだろう」と思ったとき、ちょうど雨が降ってきた。
そのとき開けてあげなかったことを宮崎さんは、とても後悔していた。大人のように、サンルーフを開けると、シートが雨で濡れてしまうといったことは、子供にはないからだ。子供には「いま、ここ」しかなく、次に会ったときにはその子は今とは違う子になっている。
宮崎さんは子供のころ、自分が生まれてきたことに対する罪の意識、自分は存在していいのだろうかという気持ちを持っていたと言う。今でも自分は人を喜ばせることによって、ようやく存在してもよいのだと認められる、そういう気持ちを持っていらっしゃる。
亡きお母さんに対する思いと、自分自身の存在論的不安のようなものが、宮崎さんを突き動かしている。今回、それが少し垣間見えて、クリエーター魂の凄さを感じさせた。
宮崎さん自身もおっしゃっていたが、創作に取り組んでいる間は、まさに「映画の奴隷」になっている。名誉やお金といったものではなく、映画という芸術に対する献身である。何か大きなものに対して宮崎駿という人間が身を捧げている。そう強く感じた。
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