青山に、たまにしか行かないバーがある。
常連客として扱われないのはたまにしか行かないからだとしても、それでもこちらは忘れられないようにときおり顔を出しているというのに、私よりひとまわりも年下のママさんは私のことなど意図的に忘れているらしく、たまに顔を出すと決まって、あーら、どちらさまでしたっけ、などと嫌味な迎え方をする。客あしらいのなっちょらん店だ。
おそらくそれは私が常連未満だからではなく、たまに顔を出すときはいつも家内と一緒だからではないかと思っている。私は家内が一緒でないとその店に行かないのだ。それとも、いつもママさんがジト目で睨むのは、やっぱりたまにしか顔を出さないからか。どうなんでしょうね、そのへんは。どのくらいの頻度で通えば“常連”と言われるのかわからない私です。
そのバーはオーナーが文字どおり“道楽”でやっているような店で、日替わりでママさんを雇っている。だからこの店にはママさんが6人もいるのだ。日曜日はお休みです。その6人で売り上げを競わせているかと思いきや、最初から儲ける気などないとしか思えないくらいのんびりしていて、8人掛けのカウンターが人で埋まっているところを見たことがない。本当に道楽でやっている店らしいのだ。
ただ、この店にはひとつだけ特徴があり、ママさんたちはいずれもマスコミに片足を突っ込んだ女性ばかりなのである。それほど名前が売れているわけではない作家さんやフリーのライターさんがオーナーに頼まれて日替わりママを務めている。らしい。それほど売れてるわけではないとか言ってしまうからジト目で睨まれるのかもしれない。
内装はと言うと、なるほど青山を思わせる造りになってはいるが、雰囲気は“文壇バー”を思わせるそれで、匂いはどちらかというと新宿は歌舞伎町のゴールデン街に近い。だから常連客は十中八九、私とご同業の方々と言ってもいい。要は業界人の溜まり場なのだ。
溜まり場と言えば、私たちの世界ではマスコミ関係者が集う店があちこちにあったりする。
たとえば、かつて新宿駅マイシティ(編注:現在はルミネエスト)の最上階に“プチモンド”というラウンジがあった。ここは、行けば必ず1人や2人は知り合いに会うようなところで、新宿で待ち合わせ打ち合わせもしくは取材となれば無条件で指定されるような店で、暇なときに誰かお茶でもつきあってくれないかなぁというときはプチモンドを訪れて知り合いをつかまえたものだった。
いつ行っても誰かしら知り合いがいるんですよ、本当に。逆に声をかけられることもあったし、今日は誰かにつかまるわけにはいかんというときは絶対に足を向けられないところでもありました。特にガールフレンドとのデートのときなどは。女の子と待ち合わせてるところを誰かに見られた日にゃ何を言われるか知れたもんじゃない。
そのラウンジはいまはもうない。現在はちょっと高級そうなレストランに変わっています。ホテルのサービスと同じでコーヒーのお代わりを自由にいただけるところで、私たちが何時間も居座ってさんざんお代わりをしたから利益が出ずに店構えを変えたのかどうかは定かではありませんが。たいへん便利で貴重なラウンジがなくなってしまったのはとても残念。
おかげで違う待ち合わせ場所を探すのがたいへん。
近くにホテルがあれば楽なのだけど、新宿という街は駅からホテルが遠いのだ。有名な“談話室 滝沢”も待ち合わせ、打ち合わせ、取材の定番だったけれど、何年か前にレイアウトを一新し、店内に小川が流れる落ち着いたたたずまいがなくなってからはほとんど利用しなくなったし(編注:「談話室 滝沢」は2005年3月で全店閉店し、別チェーンになりました)。最近は紀伊國屋書店横の小径を入った喫茶店か、西武新宿線に向かう途中にある喫茶店を使うことが多いでしょうか。
池袋界隈は迷子になるのでほとんど足を向けることのない私だが、新宿、四谷、神楽坂、そして銀座から新橋にかかる一帯の飲み屋さんにもやはりご同業が集まる店が結構あったりする。同業者が集う店というのは結構厄介なものでもあり、扉を開けると、会えば必ずお小言を頂戴するような大先輩が編集者連れでカウンターにいたりして、やばい、出直そうと思ったときにはすっかり目が遭ってしまい、おぅここに座れなどと手招きされ、気がつくと飲みに行ったのか叱られに行ったのかわからなくなっていたり、ある新聞社が発行する週刊誌の記事を、読んだかあの記事、何だあの考察は、ひどいね、と仲間どおしでけちょんけちょんにこき下ろしていたら、真後ろのテーブルにいたのがまさにその記事を担当したブン屋さんたちのグループでたいへんバツの悪い思いをしたりすることもあります。
また、同業者が集まる店というのはとても怖いところで、聞かなかったことにしておかなければならないような裏情報がばんばん飛び交うような恐怖スポットでもあります。世間的にはダンディーで通っている作家さんの女癖の悪さとか、テレビや雑誌に出まくりの経済評論家が絶対口にすることのないサイドビジネスで儲けているといった類の話ですが。いまマンションは買うべきではないと言っていたご本人が転売目的でどんどん不動産を買い漁っていたなんて話は有名です。誰とは申しません。これは業界の裏話なので、皆さんもどうかご内密に。
それ以上に怖いのは、編集者が数人額を寄せあって、なぁおい、デキルヤツノ条件とかいうコラムをどう思う、なんてことを論じられることです。紛いなしにも編集者というのは文章を読むプロなわけですから、たとえ酒の肴でもこれほど怖いことはない。最悪だなアレ、あんなふざけたやつだとは思わなかった、うちはもう仕事を頼むのはやめよう、なんてことになったらどうしましょう。
悪友レベルの親しい知り合いがボトルをキープしたりしていると、皆さん勝手にボトルを空けちゃうのも溜まり場ならではの無礼講ですが、しかし、最後は必ずそいつの名前で新しいボトルを入れておくというルールはまだ健在のようです。このあたりはちょっと洒脱かもしれません。
溜まり場というのは言うなれば同業者の社交場に他ならないわけで、右も左もご同業というのはときに鬱陶しく感じることもないわけじゃなく、ときおり上下関係が派生して肩身の狭い思いをすることもあるものの、うるさ方につかまりさえしなければ気のおけない連中が集う場所でもあるので居心地は悪くない。
情報交換をするにも好都合だし、そこで新たな人脈を拡げたりもできる。勉強になることも多いですし。きっとそんな思いで夜な夜な仲間が集まっているのだろうと思う。ただし、自分の書いたものが爼上に載せられないかぎりです。皆さんは憩いの場をお持ちですか。
青山のバーにたまに顔を出すのは、こちらは溜まり場というよりはたまたまママさんと私たち夫婦が以前からの知り合いだったからに過ぎない。ママさんの担当日は×曜と決まっているので、飲みに行くというよりは表敬訪問に出向くような感覚でしょうか。少しは売り上げに貢献してやるか、といった感じです。それなのに、だ。
「いらっしゃ……、あら、××ちゃんじゃない、お久しぶり。よく来てくれたわね。暑いでしょ、さ、入って。それで、こちらのお連れの方は? お初だったかしら」
たまにしか顔を出さないからって、この待遇の違いだ。伏せ字には家内の名前が入ります。
「帰るぞ」
「冗談よ。さ、おかけになって」
一応はママさんらしい言葉を使う。本業は作家さんです。
このママさんの難点は文筆業を生業にするにはちょっと艶っぽすぎるところで、どちらかというとバーのマダムをしているほうが似合っている感じのする女性です。その代わり売れたらマスコミは放っておかないでしょう。あちこちに露出するだろうこと請け合いで、いつ“そのとき”が訪れてもいいように、いまから店に通う編集者もおられるようです。売れっ子の青田買いと言うんでしょうか。青山で青田買い……、いまひとつだな。
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