(前回から読む)
谷口: 作り手がやりたいことを好きにやって、お客さんをおいてきぼりにしてしまうというのは、アニメ制作者が陥りがちな罠なんですよ。私は、今のアニメーション業界の一部には、「お客さんよりも作り手のほうが上だ」という思想があると思っています。クリエイター至上主義といいますか。
―― そうなんですか?
アニメ関連の雑誌や企業広告でクリエイターがたくさん取り上げられて、何となくすごいというイメージができ上がっていった。
これを否定する気はないんです。クリエイターの良さを伝えることも、雑誌や広告の仕事ですし。ただ、それが世間一般にまで浸透してしまったがために、送り手はお客さんよりも偉いのではないか、という幻想を、作り手に抱かせるようになってしまった。
―― 現在、業種によっては“お客様至上主義”的な方向に行きすぎてしまうケースもあります。アニメーション業界はその真逆をいっているわけで、なぜ“送り手至上主義”的な現象が起きたのかは、興味深くもあります。

谷口悟朗(たにぐち ごろう)
1966年生まれ、愛知県出身。フリーのアニメーション監督、演出、プロデューサー。代表作は「無限のリヴァイアス」(1999年)、「プラネテス」(2003年。この作品で星雲賞を受賞)、「ガン×ソード」(2005年)などがある。深夜枠の番組ながら大人気となった「コードギアス 反逆のルルーシュ」(2006年)で注目を集め、続編の「コードギアス 反逆のルルーシュR2」が日曜夕方5時からMBS、TBS系列で放映中(2008年8月現在) (写真:鈴木 愛子 以下同)
アニメーションは、ほかの小説や映画、漫画とも、少しだけ違う発展の仕方をしたんですね。もともと「子供向け番組」というところからスタートしていて、子供に対して、“毒”としての、もしくは“教育効果”としての子供向け番組、テレビまんがという形で始まっていった歴史があって。
「テレビまんが」は、映像業界の中でも、世間一般でも、一段下に見られていたわけです。かつてSFが(小説の世界で)下に見られていたようにね。だから次第に、アニメーションを作っているスタッフの社会的地位を、何らかの形で認めてもらう必要があるだろうという動きが制作者側から生まれました。
―― 動きとはどんなものでしたか。
富野由悠季監督が、「機動戦士ガンダム」劇場版(1981年)の公開直前に、新宿で「アニメ新世紀宣言」というイベントをやったんですよ。
大勢の人たちの前で、アニメーションでもこういう表現ができます、アニメーションにも監督というものが存在するんです、それを作るスタッフというものが存在しているんですということを、宣言する必要があったんですね。
―― アニメブームの始まりには、“いい年した若者がアニメみたいな子供番組に入れ上げるのは幼稚である”という批判がずいぶんあったと聞きます。
だから、あの時代においてはやらざるを得なかったはずなんですよ。おそらく富野監督としては、自分が業界に批判されるのを承知の上で、誰かがやらねばならないということで行ったことだと思うんです。恥をかくのを承知でやられた。立派です。
ただ、問題があるとすれば、アニメーションはすごいんだとアニメ業界側が世間に対して言い続けなければならなかったために、アニメというジャンルが、お客さん、特に10代、20代の若者に対しては、必ず何らかしら哲学的なメッセージや、人を導いていくような何か、そういった立派な思想が込められていなければならないという幻想が一部の関係者や観客に生まれてしまったんです。
―― なるほど。そういえば、アニメでは必ずと言っていいほど「主人公の成長」が描かれますね。
物語の基本ではありますが、そこに余計な物まで付いてきたと言えるでしょうか。そもそも「立派であるべし」という大前提が間違っていた、ということですかね。昔からアニメーションは、メッセージ性が強い作品群よりも、そうじゃない娯楽作品の方が実際には多かったわけですし。
ただ、「オールド・アニメファン」とでも言えばいいでしょうか。いわゆる“玄人筋”の人たちは、アニメにメッセージ性があるかどうか、新しい何かがあるかどうか、というところに評価基準を置いてしまった。これは、下手をすると排斥につながる。
「通」がつくる権威が、大衆を遠ざける
―― ジャンルの向上のために理想を持つことは大切だと思うのですが、一方で、それ以外のものを否定してしまうと、ちょっと一般の人が近づけないところにいきそうですね。
昔の日本文学みたいな物かもしれませんね。「純文学とは内面をえぐり出すようなものでなければならない、大衆小説とは違うのだ」、みたいな。
でも結果としてどうなったかというと、勢いがなくなりました。ジャンル全体の。
映画にも、それに近い流れがありました。ヨーロッパでいうとヌーヴェルヴァーグの歴史がありますし、日本でも松竹ヌーヴェルヴァーグだったり、アート・シアター・ギルド(ATG)の動きとかはありました。
でも結局、その潮流によって何が起きたかというと、一般の人が入れない世界と化し、映画界は斜陽産業になって、つぶれかけたわけじゃないですか。
ひとつのカルチャーが続いていくと、それに関して精通している「通(ツウ)」という存在がどうしても発生してしまう。「通」の存在が、次第に1つの権威みたいになって、若い人たち、作品の良し悪しを自分で判断する基準を持たない人たちは、通の判断基準に身を委ねることになる。そうして日本映画は衰退しかけたわけです。
最終的にその流れはメインストリームにはならなくて、また大衆のほうに戻ってきたんですけどね。
―― 「×××× ザ・ムービー」といったタイトルが付く、TVドラマから派生した娯楽映画も生まれました。
「あれは映画ではない」という人もいます。でも「これは映画か否か」とかそんな難しいことを言い立てるものだから、訳の分からないところに突入してしまうのだと思うんですよ。
日本人の癖でもあると思うんですけど、ジャンルが成熟してくると、いろいろ分析し始めて、お前は分かっていないとか、権威的なことをどうしても人は言い始めるわけですね。アカデミー化しちゃうんです。でも、これはダメあれもダメと言い立てることで何が生み出せるの? と思うんですよ。一番大事なのは、生まれてくるものが、楽しめるかどうかだと思うんです。
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