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『ゼロ年代の想像力』で90年代を葬ろう
~「なにもしてくれない社会」で豊かに楽しく生きる方法

  • 後藤 次美

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2008年9月10日(水)

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ゼロ年代の想像力

ゼロ年代の想像力』宇野常寛著、早川書房、1800円(税抜き)

〈端的に本書の目的を説明しておく。まずは九〇年代の亡霊を祓い、亡霊たちを速やかに退場させること。次にゼロ年代の「いま」と正しく向き合うこと。そして最後に来るべき一〇年代の想像力のあり方を考えることである〉

 威勢のいい啖呵だなぁ。さすがポスト東浩紀と囁かれもする若手論客の注目株(1978年生まれの在野の評論家)。風呂敷の広げ方も堂に入ったものだ。

 本書は、広い意味ではサブカル評論集として括ることができるだろう。実際、アニメ、マンガ、映画、テレビドラマ、ケータイ小説など、膨大な数のサブカル作品が俎上にのせられている。

 なんて書くと、サブカル論壇の内輪な本かと思うかもしれない。たしかに参照している作品名を目にすると、サブカルに関心のないサラリーマンには縁が遠そうだ。サラリーマンではない私にも縁遠い。だって、さすがに「仮面ライダー龍騎」なんて見てないし、爆発的にヒットしたライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』も読んじゃいない。

 にもかかわらず、本書の議論は刺激的だった。それは本書が、ゼロ年代という時代の読解図式をユニークに提供しているからだ。

碇シンジはもう古い?

 著者はまず、1990年代後半と2001年以降のゼロ年代とでは、諸作品の物語を生み出す想像力の質に違いがあることを指摘する。前者は葬られるべき「古い想像力」であり、後者が〈今、私たちが生きているこの時代を象徴する「現代の想像力」である〉のだと。

 90年代後半の物語を支えた「古い想像力」とは何か。それを知る前に、90年代後半という時代を考えねばならない。

 本書によれば、90年代後半は「戦後史上もっとも社会的自己実現への信頼が低下した時代として位置づけられる」。すなわち1995年あたりを境に、「がんばれば豊かになれる」世の中から「がんばっても、豊かになれない」世の中へ移行した。同時に、生きる「意味」や「価値」も見出すことが難しくなった。

 1995年といえば、オウム真理教による地下鉄サリン事件と阪神大震災が起こった年だ。さらに、長きにわたる平成不況や就職氷河期が始まろうとしていた時期でもある。

 このお先真っ暗な時代を代表する作品として、著者は「新世紀エヴァンゲリオン」を挙げる。

 「エヴァ」が従来のロボットアニメと異なるのは、主人公がロボットを操縦する「意味」をまったく見出せない点にある。物語のなかで主人公の碇シンジは、〈「エヴァ」に乗ることを拒否して、その内面に引きこもり、社会的自己実現ではなく、自己像を無条件に承認してくれる存在を求めるようになる〉

 つまり、碇シンジは、がんばる「意味」がわからないから、引きこもって何もしたがらない。

〈「引きこもり/心理主義」的傾向とその結果出力された「~しない」という倫理。この二大特徴が私の指摘する「古い想像力」である〉

 本書の目的の第一は、この引きこもり的な世界観や想像力を葬り去ることだ。なぜか。

〈簡易に表現すれば、二〇〇一年九月十一日のアメリカ同時多発テロ、小泉純一郎による一連のネオリベラリズム的な「構造改革路線」、それに伴う「格差社会」意識の浸透などによって、九〇年代後半のように「引きこもって」いると殺されてしまう(生き残れない)という、ある種の「サヴァイブ感覚」とも言うべき感覚が社会に広く共有されはじめた〉からである。

 「自己責任」を強く求める世の中では、うかうかと「何も選択しない」でいたら、生き残ることはできない。また、そもそも引きこもること自体が、何かを選択することだ。よって、〈「何も選択しない」という立場が論理的に成立しないのだ〉

決断主義とは何か?

 こうした時代認識にもとづいて、著者は「古い想像力」に「現代の想像力」を対置する。「現代の想像力」とは「サヴァイブ感」や「決断主義」を基調とするゼロ年代の想像力のことだ。たとえば、決断主義的な想像力に支えられた作品として、『DEATH NOTE』や『バトル・ロワイヤル』を著者は評価する。

〈そう、この時期から社会が「何もしてくれない」ことは徐々に当たり前のこと、前提として受け入れられるようになり、その前提の上でどう生きていくのかという問題に物語の想像力は傾き始めたのだ〉

 「引きこもり」的想像力から「決断主義」的想像力へのシフト。これが、本書を通じて執拗に繰り返される本書の一大テーゼである。

 したがって、冒頭の引用にある〈ゼロ年代の「いま」と正しく向き合うこと〉とは、決断主義と正しく向き合うことにほかならない。

 ここまでの話でピンと来ない人には、こんな想像をしてもらいたい。あなたは強烈な成果主義を導入している企業の社員である。でも、働く意味ややりがいが見出せない。会社の将来も不透明で、いつクビを切られるかわからない。どう生きればいい?

 こうした環境では、社内で生き残るために、同僚とさえ争わなければならない。場合によっては、腹黒いお偉方に動員されることを「決断」しなければならない。なんにせよ現実の課題として――。

 そう。本書は、原理的には特に難しいことを言っているわけではない。食って生きるためには、当然、人は決断から逃れられないのだから。

 ならば、わざわざ「ゼロ年代の想像力」なんて回りくどい言い方をしなくてもいいんじゃないか。

コメント3件コメント/レビュー

決断主義的作品のひとつに挙げられる「コードギアス 反逆のルルーシュ」の監督、谷口悟朗氏は同程度のリサーチと分析の上に立って、それを実作品へと反映させているように思う。その視座に立つと、単なる印象論止まりの評論を青筋立てて主張する感想文にはみっともなさしか感じない。http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080820/168407/(2008/09/10)

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決断主義的作品のひとつに挙げられる「コードギアス 反逆のルルーシュ」の監督、谷口悟朗氏は同程度のリサーチと分析の上に立って、それを実作品へと反映させているように思う。その視座に立つと、単なる印象論止まりの評論を青筋立てて主張する感想文にはみっともなさしか感じない。http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080820/168407/(2008/09/10)

今(「ゼロ年代」)が「決断主義」の時代だとして、その「決断」は、一体誰が行っているのだろうか?個々人が行っているのか、それとも個々人の外部にある「誰か」がその「決断」を迫っているのか?もし後者とするなら、一つ一つの「決断」の「根拠」は、相対的ではあるが無根拠ではない。現代における「決断」の主体を明確にする必要があると思われる。また、「新しい共同体」は所謂「交響圏」に近い共同体か?しかし、評者の論からすると、ここでは共同体の「消滅」にフォーカスがあたっている点が特長であろうか?まだ本書を読んでないので疑問がわくばかりであるが、願わくは、評者は、従来の社会評論と比較して、本書(の思想)が、体系的にどう位置づけられるのかはっきりして欲しい。(2008/09/10)

個人的なレベルの積み上げからしか今の日本に打開策が無い点には同意できますが、「社会」を諦めてしまうのは間違っていると思います。現実問題として日本以外の先進国の多くはそうではない訳ですから、そのままでは日本の相対的な競争力が低下して個人の活動の前提となる環境が悪化する一方になってしまうからです。このような考え方は日本を停滞させている既得権を持つ抵抗勢力の思う壺であり、彼らの延命に手を貸すことになりかねません。(2008/09/10)

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