「シネマde青春」

第1回:愛と青春の旅だち
――初回拡大版スペシャル

「本当に望むことなら、食い下がれ」

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2008年10月3日(金)

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 映画好きが集まると、当たり前のように映画の話に花が咲き乱れる。
 とても楽しい時間を過ごせるのだが、ときおり困ったことを言い出すやつがいる。
 これまでに観てきた中で、これぞと思う映画のベスト3を挙げろ、といった類のことだ。

 ふむ、私の好きな映画を3本選べと――?

 面白い試みなので、一応は考えてみる。あれもいい、これもいい、好みから言えばこの3本だが、いやいや待て待て。それを取り上げるとこれを落とすことになり、こんなにいい映画を落とすのは忍びない、名作ではないか。すると、こちらを残すとあちらが落ちることになるがいいのだろうか、この作品をトップ3に入れないなんて……、と好きな映画をあれこれと思い浮かべているうちについ真剣に考え始め、いままで和気あいあいと語らっていた場が途端に真面目なそれになり、しまいには本気になって呻吟し、誰かがちょっと喋っただけで、うるさい黙ってろ、いま考えているんだなどと語気を荒げてしまうことになる。

 そして、あまたある作品、あまたある名作の中から選りすぐりの3作を選ぶこと自体が間違いなのだ、ということにようやく気づく。作品を“篩い”にかけるようなことなどできるものか、そんな非人情なこと。人間にだってやっちゃいけない。

 そこで私は考える。何をもって私のベスト3が決まるのだろうと。
 肝心なのはそこだ。どこ、とか言わないように。

 面白さが決め手なのか、人生に影響を与えた一作だからなのか、感動し泣かされたからか、考えさせられたからか、アングルや俳優の表現力、演出、物語の構成といった角度から好きな映画は決まるのかエトセトラエトセトラ――、考えれば考えるほどだんだんわからなくなる。嗜好の問題だから考えすぎると思考が止まるのだ。

 ついでに考える。こんなタッチで書き綴ると必ず脱線して、絶対にどこかで見たコラムのようになってしまう。調子にのると前振りも長くなってしまうし。それはいけない。いけないコラムはいけ好かないやつに書いてもらうとして……、だからこういうことを書いてはいけないのだ。ギャグにセンスがないとか言われるに決まっているのだし。実家の庭に池はあるが、いまの住まいには庭はあっても池はないのだ。これは池ない……、この橋渡るべからず。これは行けない。くどいというより内容が幼いからもう押さない。

 こういうくだらないことを滔々と書いておきながら、最後まで読み切れるかなどと読者を“試す”ようなことももうしてはいけない。読者を煽ったり挑発するなんてとんでもないことだ。だからもうやらない。ここでは。

 私はとびきりの映画マニアではないが、とりあえず映画は観てきた。好きなのだ。

 世代的にはとても運がいいと言うか恵まれた世代で、思春期に「スターウォーズ」というとんでもない映画に出会った。中学生の頃だ。一連のアニメブームも中学生。大学受験直前に「ET」が劇場公開され、学生時代にはビデオデッキが登場し、リアルタイムで観ることのできなかったヌーベルバーグ作品やモノクローム時代の名画まで堪能できるようになった。

 20代はバブル期で“カウチポテト”という流行語も生まれた。スノッブにはそれがナウいと言われたので、私も部屋で座椅子に座ってビデオを観賞した。それでも週に一度か二度は映画館に足を運び、駆け出しの時分は取材と取材の時間が空くと映画館に飛び込んだ。だから「ぴあ」という情報誌は毎号鞄に入れていたものだ。情報はまだ“紙媒体”に頼る時代だった。

 コンピューターと映像技術が飛躍的に進歩したのもこの頃で、かつての“特撮モノ”はSFXやがてはコンピューターグラフィックスを駆使したデジタル映像へと変貌を遂げ、ついにはブルーレイディスクの登場だ。何なのだ、この美しい映像は。

 あれほどレンタルビデオ業の出現に難色を示していた映画界もいつしかその産業を容認し、それどころか劇場公開とDVD発売はすっかり“二本立て”で売り込むという新しいビジネススタイルを確立している。それも、ここ20年ちょっとの動きだ。

 いまでは猫を膝に、手のひらでブランデーを温めながら優雅に映画を観る……、なんてことはしないが、自宅にいながらにしてDVDを堪能し、BSやWOWOW、スカパーの専門チャンネルで映画を楽しんでいる。民放でも毎日、毎夜のように何かしら映画を放映しているから、気づけば年に200本前後の映画を鑑賞していることになる。

 私の年代はそういう恵まれた世代にある。愛の世代の前か後ろかはわからないが。わかる人にしかわからないギャグをまた。こういう脱線はやるまいと決めたのに……、体質なのか。少しずつちゃんとした文章に戻していきます。振り子は急に戻れないのだな。前作から引き続き読んでくださった方にしかわからない話ですみません。

 振り返れば奴はいなかったが、振り返って私自身の来し方を思い起こしてみると、私はずっと映画に囲まれた生活をしていたことに気づかされるのだ。私ではなく、私たちと言い換えてもいいのだろう。

 映画好きは自認しているが、私は映画“通”ではない。マニアでもない。

 通な生き方は、粋かもしれないが個人的にはつらいものだと思っている。お通じは毎日あったほうがいいが、密通はいけない。ハウツーものに頼るのもあまりお勧めできない。ノウハウは自分で編み出すものだと誰かも言っていた。ところで、くれぐれも粋を“わく”と読まないように。

 映画通に劇通、食通、角通、消息通、大通――、拾い上げると日本語として正しい“通人”の表現というのはあまりなくて、音楽通とかサッカー通といった言葉はどうやら造語のようだ。しかし、通で生きるのはつらい。

 たとえ趣味の域であっても、他人より抽んでたレベルを維持しなければならないからだ。

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著者プロフィール

降旗 学(ふりはた・まなぶ) 

ノンフィクションライター。1964年、新潟県生まれ。神奈川大学法学部卒。英国アストン大学留学。96年、第3回小学館ノンフィクション賞・優秀賞を受賞。主な著書に『残酷な楽園』『敵手』『松坂大輔 証明』他、剣崎学のペンネームで書いた『都銀暗黒回廊』など。
近著は『草野球をとことん楽しむ』(新潮新書)。 本ウェブ連載「長目飛耳」をまとめた『世界は仕事で満ちている』(日経BP社)



このコラムについて

シネマde青春

趣味は楽しむから趣味なのだ。映画もまた、楽しんで観るから娯楽なのだ。たくさん観ているからといって偉いわけじゃない。要は、楽しめたかだ。それがいちばん正しい映画の見方だと私は思っている。・・・それでも、映画を観るたびに考えさせられることや勝手に学んだつもりになることは多々あって、何年経っても忘れられない場面もあれば、解釈の仕方ひとつで何気ない台詞に影響を受けたり、その台詞を借りて自分を励ましたり勇気づけたこともある。だから映画は面白いのかもしれない。そうした場面や台詞を拾い上げながら、私なりに感じたことを徒然に、道草を食いながら綴っていこうと思う。

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