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「会社をダメにする法令遵守」の郷原信郎氏に聞く(1)

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2008年10月29日(水)

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 この連載では定期的にゲストを迎えて、それまで展開してきた議論に幅を持たせるようにしている。今回のゲストは弁護士の郷原信郎さん。いわゆる「コンプライアンス」の専門家として知られ、マスメディアでの発言の機会も多い。

 郷原さんは1955年島根県の生まれ。東京大学理学部(地質学専攻)卒業後、三井鉱山に入社するが1年半で退社、改めて司法試験にチャレンジし、1980年に合格したという異色の法曹人だ。東京地検特捜部、長崎地検次席検事を経て2005年から桐蔭横浜大学法科大学院教授、同大学コンプライアンス研究センター長。2006年に検事を退官、弁護士登録。コンプライアンス関連事業を手掛ける日本初の大学発ベンチャー企業として株式会社コンプライアンス・コミュニケーションズを設立し、その代表取締役も務めている。

【郷原さんの日経ビジネスオンラインでの連載記事はこちら→「郷原信郎の 会社をダメにする法令遵守」】

*  *  *  *

武田 お忙しいところありがとうございます。今日はご専門の「法令遵守」について話をしたいと思っていますので、よろしくお願いします。

郷原 はい、こちらこそ。

武田 郷原さんはコンプライアンスの専門家と言われていますが、少し前に『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)という本をお書きになった。これ、普通だったら逆ですよね。法令遵守を進めるのがコンプライアンスであり、それこそが日本を救うだろうと思われている。なぜ、正反対にそれが日本を滅ぼすのかということからお話して頂きましょうか。

郷原 法と人間との関係を根本的に問い直してみないといけないと思っています。

弁護士 郷原 信郎氏

弁護士 郷原 信郎氏 (写真:陶山 勉、以下同)

 今、一番いけない方向に日本社会が向かってしまっている。それは「法令遵守」という言葉にこだわって、何も考えないで、「法を守ること」が自己目的化していることです。

 忘れてはならないのは、法というのは手段だということです。手段以外の何ものでもない。ところが最近は法が目的になってしまって、人間の営みとか、生活の方が、法を守ることの下に来るようになっている。

 日本人は、もともと法にあまりなじみがないものですから、ごくたまに、関わり合いになるときには、法令をそのまま守ればいい。何も考えないで守っていれば、すぐに通り過ぎてしまう、ということで済ましていたんですが、最近になって、法の世界がどんどん膨張してきて、法令と関わりを持つことが多くなってきました。

 そうであれば、法をきちんと使いこなせるように、それが何のための法令なのかということを考えなければいけないのですが、それでも、何も考えないで遵守、遵守、遵守ということばかり言っているわけです。そんなことばかりやっていると、みんなが思考停止に陥ってしまい、この社会はダメになってしまいます。

武田 それと通じることをこの連載でも以前に賞味期限偽装の問題で議論したことがあります(「『(ほぼ)全員有罪』の社会システムが稼働した」)。確かに期限を偽るのは違法です。しかし違法は違法だという以外にも考えることはあるのではないか。極端な話、賞味期限切れ食品を食べて死んだ人はいないのに、会社が傾いて、特に非正規雇用のひとなどは大きく人生が狂うわけですよ。自殺者もいたかもしれない。この非対称というか、アンバランスはどう考えればいいのか。そうした「ねじれ」も、世間とマスメディアが「法律は遵守しなければいけない」の一言だけで突っ走ろうとして他をみない結果として起きるわけです。

郷原 遵守というような考え方が、マスメディアにも完全に染みついてしまっていて、法を、規則をとにかく遵守しなかったものは、そのまま悪というふうに考える方が強くなっています。これだとマスメディアの側は物を考えなくて済むので、物を考えるというパワーを次第に失いつつあるマスコミにとっては、非常に楽なやり方です。

武田 これは社会学者の橋爪大三郎さんがハートという法哲学者の法に対する考え方を紹介する時に使っていた比喩ですけど、草野球を例に考えます。

 草野球では殆どの場合、ジャッジが出なくてもうまく進むわけですよ。フライが上がってもきちんとキャッチされれば誰が見てもアウトですよ。9回裏で一発逆転のチャンスであっても、そこまで明らかだったらさすがに誰も異議申し立てなんかしない。だから審判はいらないし、実際、子供が草原で試合やるときなんか、9人揃わないことだってあるわけで、アンパイアなんかいないこともある。

武田 徹

ジャーナリスト・評論家 武田 徹

 ただ試合中に時々、白黒つかないケースが起きてしまうんですね。ホームベースを踏んだのとキャッチャーがタッチしたのとどっちが早かったかとか。そのときは審判に判断を委ねざるをえない。審判がいない本当に牧歌的な草野球だと、もめると埒が明かなくなってしまう。

 審判の出番はこのように白黒つける必要がある場合であって、その時は審判の言ったことに関しては従うという決まりは草野球だってある。裁定を審判に預けることで白黒つかなくてもめる場合に試合をスムーズに進めさせようとするわけです。

 法というのはこういう構造をもっていて、ふつうは意識しないでも社会はうまくゆくんですね。いざというときだけ法の出番になる。そして法の出番になったらそれを遵守しないと泥仕合になったりするので、それを避けましょうよということになる。これが法治国家の構造でしょう。

郷原 そういう審判がほとんど出てこない世界が、市民はもともと法というものにあまり馴染みがなくて、法は、神棚に祭った伝家の宝刀のように、存在していることに意味があって、実際に使われることはほとんどないという旧来の日本の社会だと思います。それが、最近になって、日経新聞が良く使う「法化社会」という言葉に象徴されるように、審判がしょちゅう出てくる世界に変えていこうという動きが出てきているわけです。

武田 さっきの草野球の比喩で言うと、審判の出番が必要になる白黒つかないクロスプレイが最近になって特に増えているなんてことはもちろんないんですよ。そうではなくて、なんでもかんでもいちゃもんつけて白黒つけたがる傾向が強まったわけです。

 フライをキャッチしてアウトで、済んでいたのが、それに納得しないで、それ以前に選手登録に規約上の問題があったんじゃないかとか、グローブが規定のサイズを外れているから、今のプレイは無効で捕球していてもアウトじゃないとか言い始める。そうしたいちゃもん体質がマスメディアから大衆社会の隅々まで一貫して浸透してしまった。

郷原 しかも、その際に、細かな規則にばかりこだわって、その規則を遵守していれば善、遵守していなければ悪というふうに単純な二分法で考える。これは実はすごく楽な方法で、実際には何も考えていないに等しい。

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著者プロフィール

武田 徹(たけだ・とおる)

武田 徹氏

ジャーナリスト・評論家。恵泉女学園大学人文学部教授。『流行人類学クロニクル』(日経BP社)でサントリー学芸賞受賞。その他、『「核」論』『偽満州国論』『「隔離」という病い』(中公文庫)、『NHK問題』『戦争報道』(ちくま新書)ほか著書多数。 東京大学先端科学技術研究センター特任教授として2003-7年にジャーナリスト養成コースを運営。(写真:都築 雅人)



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インターネット、デジタルカメラ、ブログ、SNS…。情報発信の術を個人が手にした現在、ジャーナリズムの姿は否応なく変化している。それは、ネットを利用する個人が、半ば強制的に「ジャーナリズム」に巻き込まれるということだ。時代を泳ぎ切るには受け手として「メディアリテラシー」を備えるだけでは足りない。誰もが送り手になりうる状況を踏まえて、新しい時代にふわしいジャーナリズムの作法を知っておく必要がある。武田徹の「万人のためのネットジャーナリスト講座」、ここに開幕。

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