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サラブレッドの苦悩――マーク・ターネサ

I'm going to give this my last shot.(これで最後。ケリをつけよう)

  • 舩越 園子

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2008年10月30日(木)

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 これほどのサラブレッドがゴルフ界に存在していたということが初めて世に知れ渡る出来事があった。

 米PGAツアーは華やかなフェデックスカップシーズンが終了し、現在は来季シード権を競い合うフォールシリーズを展開中。その第3戦、ラスベガスで開催されたジャスティン・ティンバーレイク・シュライナーズホスピタルオープンを制したのは、30歳のルーキー、マーク・ターネサだった。

 4日間、首位を守り通し、優勝したターネサが表彰式に臨んでいたとき。司会者がターネサに向かって、こう言った。

 「あなたのご家族は、ものすごいゴルフ一家なんですね。一族の勝利数を足し上げると合計何勝になりますか?」

 ターネサは戸惑ったような表情で下を向きながら「うーん、20勝以上です。でも僕はターネサ家の名前を掲げて生きているわけじゃない。今週も家名を忘れてプレーした」。

 だから、ゴルフの名門一家のことは、あんまり言わないでほしい……。ターネサは、そんな顔をしていた。

 ターネサ家がどれほどの名門なのかと言えば、祖父のマイクは米PGAツアー6勝を誇り、48年の全米プロではベン・ホーガンと優勝争いの末、2位になった。祖父は7人兄弟で6人がPGAツアーのプロだった。そのうちの1人、ジムは52年の全米プロ覇者。ジョーはPGAツアー15勝。ただ一人、プロにならなかったウィリーは38年と48年の全米アマ覇者、そして47年の全英アマ覇者。聞けば聞くほど溜息が出る戦績だ。

 しかし、ターネサにとっては、そんな名門に生まれたことがプレッシャーになると同時に甘えにもなっていた。

 ノースカロライナ州立大学を卒業したターネサは、血筋に逆らうことなくプロゴルファーを目指し、01年にプロ転向。名門の名を冠する彼は「いつも、どこからともなくスポンサーが現れ、経済的な援助をしてくれた」という恵まれた環境に身を置いていた。

 だからと言って、「いい加減にプレーしたことは一度もない」と断言するターネサだが、「そこそこのプレーをしていれば、なんとなく許される状態だった」。

 まあ、こんなもんでいいだろう――PGAツアーのQスクール(予選会)を何度受けても通らないのは、そんな甘えのせいだと悟ったターネサは、05年の年明けに、家名を忘れる決意をした。

I'm going to give this my last shot.
(これで最後。ケリをつけよう)

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