東京・上野公園の国立西洋美術館にて、12月7日(日)まで「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」が開催されています。
ヴィルヘルム・ハンマースホイの名は日本ではほとんど知られていませんが、近年パリのオルセー美術館や、ニューヨークのグッケンハイム美術館、ハンブルク美術館などで回顧展が開催され、北欧の象徴主義を代表する重要な画家としてその再評価が進んでいます。
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今年6月28日から9月7日まで、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(RAA)において、本展に先行して同様の企画展が開催され、その後東京に巡回されました。
本展ではハンマースホイの作品86点の他に、同時代に活躍したデンマークの画家ピータ・イルステズとカール・ホルスーウの作品が出品され計105点で構成されています。
フェルメールを連想させる静謐で古典的な筆致
さて、ヴィルヘルム・ハンマースホイはどのような画家だったのでしょうか。
ハンマースホイは1864年デンマーク・コペンハーゲンの裕福な商人の家庭に生まれ、8歳の時から絵画を学び、15歳でコペンハーゲン王立美術アカデミーに通い始めます。
1885年、21歳のとき「若い女性の肖像、画家の妹アナ・ハンマースホイ」でデビュー。しかし、美術アカデミーにこの作品を出品するものの落選。彼の才能や作品の完成度が認められていた中での落選は物議を醸し、当時コペンハーゲンの話題となりました。
1891年にはイーダ・イルステズと結婚。1898年から1909年までコペンハーゲンのストランゲーゼ30番地にあった家の2階に住み、この住居で多くの室内画を描くことになります。
ハンマースホイは、1890年からアカデミーとは一線を画す「自由展」と呼ばれる分離派に参加しています。当時その活動によってヨーロッパでは高い評価を得、北欧の象徴主義美術を代表する最も重要な作家の1人として認知されていました。
しかし1916年に亡くなった後、ハンマースホイの名前は、なぜか急速に美術史の中から忘れ去られていきました。
それから80年。オルセー美術館とグッゲンハイム美術館での回顧展を機に、ハンマースホイの画業は再び脚光を浴び、その作品はオランダの巨匠フェルメールの作品に並び称されるまでに再評価されるようになりました。
なぜなら、ハンマースホイが若い頃に学んだコペンハーゲンの美術アカデミーは、フェルメールに代表される17世紀オランダ絵画の影響を強く受けており、しかもその「黄金期」にあったからです。近年のハンマースホイ再評価の波は、フェルメールの人気と無縁ではないでしょう。
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