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勤務中に読むのはお薦めしませんが~『江戸の下半身事情』
永井義男著(評:三浦天紗子)

祥伝社新書、760円

  • 三浦 天紗子

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2008年11月21日(金)

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評者の読了時間3時間00分

江戸の下半身事情

江戸の下半身事情』 永井義男著、祥伝社新書、760円

 現代東京の風俗街と聞いて、誰もが思いつく筆頭エリアといえば、歌舞伎町と吉原だろうか。渋谷や池袋、五反田、上野、錦糸町なども盛んで、つくづく東京は歓楽都市だと思うのだが、18~19世紀の中頃、つまり江戸後期の風俗産業の活気は、いまの比ではなかったらしい。

 本書『江戸の下半身事情』によれば、政府公認の遊郭が建ち並ぶ吉原には200軒以上の妓楼がひしめき、岡場所といわれる非公認の売春街が50箇所近くあった時期もある。他に夜鷹といわれる違法営業の個人売春、飯盛女という女郎がいる宿場など、犬も歩けば遊里に迷い込んでしまうほどに盛ん。

 江戸の人々は、性体験も早かった。よく言えば性にオープンということなのだろうか。しかし本書によれば、それは当時の社会事情と深く関わっていることがわかる。当時の結婚適齢期は15~16歳。10歳前後で吉原に売られ、禿(かむろ。遊女の身の回りの世話をする少女)として育てられた女の子も、「突出し」となり客を取り始めるのが15歳くらいからだった。

 自由恋愛の場でも、『艶紫娯拾余帖(えんしごじゆうよじよう)』に「昔ハしらず、今時の女の子に、十五六まで男のはだしらぬ娘もなけれど、表向ハどこまでも始めてのつもりなり」とあるように、女の子はそのくらいの歳には性体験があるのはめずらしくなかったようだ。

 実際、かなり奔放だったと思われる事件も起きている。天下泰平が続くうち、不義密通が増え、将来の望みのない恋を悲観して心中する男女は少なくなかった。本書ではそのうちの一つを紹介している。

 文化元年(1804)に隅田川で見つかった男女の水死体は、体が離れないよう互いの体を緋縮緬の扱帯で括り合っていたことで話題をさらった。舟を雇い、見物した人までいたという。この心中カップルは18歳の茶屋の娘と、その近所に住む25歳の男。男には妻子があり、妻は臨月だったというから、風紀が乱れていると言われる現代人から見ても、相当にスキャンダラスだ。

 反面、江戸時代の遊女は、むしろおとなしめだったようだ。

江戸の愛人稼業は高収入&高待遇

 遊女になった経緯は、貧農の娘が身売りされてきたケースがほとんどだ。食い扶持を減らし、困窮している家計を救うためだから「親孝行な娘」なのである。

 実は「妾」は、当時、歴とした女の職業の一つだったことも興味深い。

〈口入屋という職業斡旋所を通じて、富裕な商人などが年季と給金を取り決め、雇った。きちんと、契約の証文も取り交わす〉

〈世話焼き婆さんが個人的に妾を紹介することもあったが、その場合でもきちんと証文を取り交わし、婆さんはちゃんと手数料を取った。女の側からすれば、「妾奉公」だった〉

 給金がよく、衣食住が保証され、妾宅に家事をしてくれる下男や下女をつけてくれるのが普通だったというのだから、悪くない商売だ。

 現代における愛人はただの口約束だろうし、家事をしてくれるお手伝いさん付きで囲ってくれるお大尽もいないだろうから、同じ商売なら江戸でやったほうがずいぶん得かもしれない。

 一方、男性の事情はどうだったのだろうか。

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