「いい加減」と聞くと無責任に思えるが、そうではない。自分の意志ではどうにもならない運命や偶然に添って生きることを意味する。つまり、与えられた条件の中で精いっぱい生きるということだ。それは「偶然のチカラ」を信じることでもある。
後編では、植島さんの長年のカジノ遍歴を通じ、賭け事という偶然か必然か判然としないルールが支配する中で、何が勝敗を分けるのかうかがった。賭け事と人生は意外に近しい。
−−旅先で多くのカジノを巡ったとお聞きしています。賭けというものは、突き詰めると自分の力ではどうしようもない“運”に支配されたものの気がします。意志の力だけでは太刀打ちできない状況に、どういう態度で臨んでいるのですか?
植島:ギャンブラーといっても特別な人でもない限り、お金をたくさん持っているわけではありません。だから、負けるのはいやだから負けたときの被害を最小限にしたいと考え、だいたい臆病になりがちです。
しかし、ここがおもしろいところなんですが、少しでも負けを想定した時点で確実に負けてしまうんです。
植島啓司(うえしま・けいじ) 宗教人類学者。東京大学卒。東京大学大学院人文科学研究科(宗教人類学専攻)博士課程修了後、シカゴ大学大学院に留学、M・エリアーデのもとで研究を続ける。NYニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、関西大学教授、人間総合科学大学教授などを歴任。著書『男が女になる病気』(朝日出版社、集英社)、『分裂病者のダンスパーティ』(リブロポート)、『宗教学講義』(筑摩書房)、『天使のささやき』(人文書院)、『聖地の想像力』(集英社)、『快楽は「悪」か』(朝日新聞社)、『偶然のチカラ』(集英社)、『賭ける魂』(講談社)ほか多数。翻訳『生命の樹』(平凡社)、『メディア・セックス』(リブロポート、集英社)など。
世界中のカジノに足を運びましたが、日本人ほどお金を失うことに臆病な人はいないと思いますね。負けてもいいようにわずかしか賭けない人のなんと多いことか。
顔は似ているのにチャイニーズは大きな額を賭けますよ。彼らが大勝負をしている場面を何度も見てきました。ラスベガスで、隣のルーレットに黒山の人だかりができていたので、覗いてみたことがあります。
中国人3人組が「赤の23」にものすごい高さに積みあがったチップを賭けていた。勝ったら何千万ではきかない勝負です。あまりの高さにチップが崩れそうだからと、ディーラーが触ろうとしたら、彼らは「Don't touch!」と言って触らせない。ツキが落ちるからですね。
そして、いよいよルーレットが回り、玉が赤の23を外した。その瞬間、3人の姿は私たちの前から消えていた。見事なまでに余韻を残さない。本当の勝負とはそういうものです。
−−一流のスポーツの選手も、負けたときは気持ちをすぐに切り変えるといいますね。
植島:負けた後にあれこれ考え、「こう選択するとまた失敗するんじゃないか」とか「今度は負けてもいいからやってみよう」とか、少しでも口にしたり、思ったりすると勝負事は必ずうまくいかない。それで勝った人を見たことがない。賭けとはそういうものです。勝とうと思っても勝てないけれど、負けを意識すると確実に負けてしまうんです。
勝負時に身体が反応するか
−−調子良く勝っているのに、そのことが逆に不安でストレスになったりします。そうなると過去のデータから確率を考えがちです。先生は自著で競馬を例に、「もっとも『合理的』と思える判断を積み重ねていくと、なんと必ず破産することになる」と書かれています。いったい何をあてにすれば勝ちは拾えるのでしょう?
植島:たとえば、これまで最も賞金を稼いでいる馬がいちばん強いわけですから、賞金順に賭けるというやり方もある。前走同じレースで2着と8着の馬がいる。それなら2着だった馬のほうが強いと考えるのが合理的だし、逃げ馬が3頭もそろったら当然競り合いになるから、差し、追い込み馬を狙うというのも理にかなっている。でも、そういう「合理的」なことを追求すればするほど競馬では勝てなくなるということです。
それよりも自分も含めてそのレースをめぐって複雑に絡み合う「ツキ」を考えます。ツキとは人の持つ調子の波ですが、つねにゲームを支配しているのです。
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