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11. 今度こそまじめに精だして働けばよいではないか。

町田康『告白』

  • 千野 帽子

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2008年12月24日(水)

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 日直のチノボーシカです。前回に続いて、町田康のことを書きます。

 労働の戦場からさえ零れ落ちてしまった人たちは、生きて存在する誇りさえ奪われるケースもある。

 2008年におきた秋葉原通り魔事件を、加藤智大容疑者の不安定だった職場環境と安易に関係づけてはならないかもしれないが、どうしても1938年におきた「津山三十人殺し」の都井(とい)睦雄の事情を思い起こしてしまった。

 都井は肋膜炎で医師に農作業を禁じられ、徴兵検査でも引っかかってしまった。まさに労働戦場から零れ落ちてしまった人だったのである(詳しくは筑波昭『津山三十人殺し 日本犯罪史上空前の惨劇』(1981)を参照)。

 津山事件に触発されて、横溝正史の『八つ墓村』(1938)をはじめとするいくつかの小説が書かれたが、町田康は、1893年に起きた「河内十人斬り」の博徒・城戸熊太郎を主人公にして、大作『告白』(2005)を書いた。

津山三十人殺し

津山三十人殺し』筑波昭(著)、新潮文庫、620円(税込) 

八つ墓村

八つ墓村』横溝正史(著)、角川文庫―金田一耕助ファイル、780円(税込)

告白

告白』町田康(著)、中公文庫、1200円(税込)
 

*   *   *

 河内十人斬りは、熊太郎と子分の谷弥五郎が、熊太郎の内縁の妻と密通していた松永寅次郎の一家を襲撃した事件である。

 町田は事件のフィクション化にあたり、熊太郎にたいして、独特の造形をおこなった。その結果主人公は、きわめて個性的な、しかしどこか身近でもある、説得力のある生々しい人物となった。

 『告白』の熊太郎は、もともと幼いころより利発で、しかし要領はとことん悪い。過度に思弁的で、空気が読めない。彼の思考は厳密さを求めて、つねに空回りする。

 放蕩無頼に暮らしがちな熊太郎だが、何度かいわゆる「真人間」になろうと決意する場面がある。しかし、どうしてもうまくいかない。

 農民らしく畑でも耕してみようとするが、耕すというのはただ重労働であるだけでなく、非常に面倒くさい作業である。

 ここが我慢のしどころであって、ここでちゃんとすれば、ちゃんとした人間になることができる。耕る。〔…〕

 しかしなかなか前に進まない。なぜならば人力で五寸耕すのはけっこう大変だし、まして鈍くさい熊太郎がふわふわ土の表面をひっ掻いたところで、そう簡単には「耕ら」なかったからである。〔…〕

 熊太郎はなぜこうも、耕らない、のだろう。と思いながら鍬をふるったが、そもそもそこが熊太郎の駄目なところであって、つまり耕すというのは他動詞である。熊太郎が田を耕す。これが正しい表現である。ところが熊太郎は先ほどから、耕った、耕った、と自動詞的な表現をしている。〔…〕田というものは本来ひとりでに、耕る、ものであって、我々はそのお手伝いをするだけだ、といった甘えたことを考えているからである。

 この、耕った、という言葉は労働に対する熊太郎のこれまでの生涯が形づくった思想の全力の抵抗であったのである。

 農民に向かず博徒になり、しかし博徒にも向いていなかった熊太郎はひょっとしたら、ハイデガーのような哲学者になったほうがよかったかもしれない。

 私も、仕事にたいしてどこか熊太郎流の考えかたをしているときがある。

「書類というものは本来ひとりでに、書かれ上がる、ものであって、我々はそのお手伝いをするだけだ」

といった甘えたことを、しょっちゅう考えている。

*   *   *

 世の中には、働くことにどうしても向いていない人というのがいる。私もそうかもしれない。

 働いて承認されたり誇りを持ったりすることは喜ばしいことだけれど、承認されたり誇りを持ったりできるところまで働く道のりは、業種によってばらばらであり、たとえば農民と兵士、会社員と芸人、商店主とライター、ぜんぶ違う。

 早い話が「向き不向き」。たまたま手にした仕事に「向く」か「向かない」かは、ほとんど運しだいだ。そして多くの人がきっと、

「俺ってこの仕事、向いてないんだろうなあ……」

と内心ぼやきつつ、働いているはずなのだ。

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