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アウシュビッツを生き延びた人たちのすざまじい書物

『幸せな子 アウシュビッツを一人で生き抜いた少年』 トーマス・バーゲンソール著 池田礼子 渋谷節子訳 朝日新聞社出版 1800円(税抜き)

  • 松島 駿二郎

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2009年1月23日(金)

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『幸せな子 アウシュビッツを一人で生き抜いた少年』 トーマス・バーゲンソール著

『幸せな子 アウシュビッツを一人で生き抜いた少年』 トーマス・バーゲンソール著

 ナチスの強制収容所の大量虐殺はホロコーストと呼ばれる。なかでも、強制収容所でもっとも悲惨だったところは、アウシュビッツであって、ポーランドの片田舎の広大な荒れ地に建設された。ヒトラーの人種浄化政策によって送り込まれたドイツやポーランド、東欧のユダヤ人たちがおよそ600万人という規模で、大虐殺された収容所である。

 本書は、チェコスロバキアで1934年に生まれたトミーという少年の物語で、トミーを一人称にして語られる。トミーが父母と共にアウシュビッツに送り込まれたのは44年のことだった。強制収容所ではユダヤ人たちはほとんど紙屑同然に扱われた。

 人間ではなく、単なる余計なものとして遇され、チクロンBという、猛毒の青酸性のガスを噴出するガス室に放り込まれた。ユダヤ人たちの運命を分けたのは、ドイツ人守衛の小さな首肯だけだった。トミーは時に運良く、時に聡明にガス室行きを逃れて、ドイツの敗戦と共に終戦となって、解放される。

 アウシュビッツに入所したときにトミーは父母と離ればなれになった。そして、解放後、奇跡的に母と再会する。母と子は2人して、一度も再会できることを疑わなかった。いつの日か出会えることを祈念しつつ、戦後の荒廃のドイツを彷徨っていた。

 ところが、収容所を生き延びた仲間たちから、トミーの母親の情報が漏れてきた。母親もトミーと同じように、収容所生き残りの人々からトミーのことを聞き出そうとした。2人の努力は46年12月に報われた。ドイツのゲッチンゲンという大学町(グリム兄弟が活動した町)で、報われた。奇跡的な再会だった。2人は抱き合ったまま、日が暮れるまで動かなかったという。同時に父がガス室に消えたことも知った。

 51年、トミーはひとりでアメリカに赴いた。憧れの国だった。ドイツのゲッチンゲン暮らしにはトミーは慣れなかった。

 アメリカに入国してから、本書の記述は一人称の「僕」から、「私」へと変わる。トミーは一人前の大人になったのだ。そして、どうしてアウシュビッツを生き延びたのかと聞かれるたびに、街角に生きているストリート・チルドレンのことを話すようになった。

 ストリート・チルドレンはいかに幼くても(トミーがアウシュビッツに入れられたときほど)ずるく、事情通にもなるんだ、と説明したという。まさしくトミーはずるく、事情に通じていたからこそ、アウシュビッツの地獄を生き抜いた。

 アウシュビッツでの体験は大きな、トラウマをもたらす。収容所そのものでは生き抜いても、何人かの人々はこのトラウマの圧力には耐えられない。プリモ・レーヴィーというイタリアの詩人は、帰還後、文筆家・詩人として成功しながら、トラウマのせいで自死したという例もある。

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