• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

和綿は蘇るか~ワークショップから新たなプロジェクトへ

「鴨川和棉農園」(千葉・鴨川市)に集う人々(2)

  • 若井 浩子

バックナンバー

2009年1月30日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 日本在来種の綿「和綿」。その存続と織物の復活を目指す鴨川和棉農園のワークショップは今年で11年目を迎える。

 参加者は老若男女、農業や工芸とは無縁の初心者や趣味の人、繊維業界人、起業家、専門家まで実にさまざまだ。年間約6回開催、1回の参加者数約15人を単純計算しても、これまで延べ約1000人が日本独自の綿の感触を体験したことになる(*1)。

 今回の参加者には、今年からオーガニックコットン製品(輸入)を扱う予定だという香川県の卸商の男性もいれば、京都から来た元商社マンもいる。

 卸商の男性は、綿はもちろん有機綿も100%輸入だと思っていたが、国産もあると知って勉強のために参加したと言う。また、元商社マンは原綿(綿花)輸入に携わってきて、農業の実情や市場による価格の乱高下など、綿を取り巻く世界的状況を見るにつけ、国産の可能性に目を向けるようになったと言う。

 ほかには、染色の専門家、単純に和綿に興味をもって参加したというカップル、織物が趣味という主婦も。

 なかには、鳥取県境港市で伝統織物の弓浜絣(ゆみはまがすり)を織りつつ、鳥取在来種の伯州綿の栽培もしているという女性も。県の振興策でもある伝統産業の後継者養成事業に関わっているその人、足立あきみさんは、「伯州綿の栽培を手掛けるうちに、日本中にある土地土地の在来綿がどんなふうに育っているのか見てみたくて参加しました」。

(*1)ワークショップは基本的に春(4・5月)、秋(10・11月)、冬(12・1月)に開催されている。個人やグループの希望を受けての特別開催もある。詳細は鴨川和棉農園のワークショップ情報ページにて。

120年前、綿は米と同じくらい重要な農産物だった

 ここで日本の綿農産業史の概略に触れておくと──。

 生産の最盛期と思われる明治12(1889)年で、和綿の年間総生産量は約2万4000トンだった。この2万4000トンで日本中の衣料をまかない、布団の中綿や船の帆布を作り綿油を取っていたわけで、綿はまさに米と同じくらい重要な農産物だった。

 在来種である和綿は害虫に強く栽培しやすい優良種だったが、繊維が太く短い短繊維種綿のため、輸出製品としてより安価な原綿を入手すること、繊細均質な糸や布を生産することを目指した明治中期の国策から見放され、その立場は中国や米国からの輸入原綿に取って代わられた。

 以来、地場で小規模に栽培されるのみとなり、それさえも昭和の戦後からは廃れてしまった。

コメント0

「農業新時代─“国産”という挑戦」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

プロフェッショナルとして、勝負どころで安易に妥協するなら仕事をする意味がない。

手嶋 龍一 作家・ジャーナリスト