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「やればできる」わけはない~『学力とは何か』
諏訪哲二著(評:成松 哲)

新書y、740円(税別)

2009年2月6日(金)

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評者の読了時間5時間45分

学力とは何か

学力とは何か』 諏訪哲二著、新書y、740円(税別)

 ここ数年、世間は、悪い意味での「学力」ブームだ。

 昨年9月、橋下徹大阪府知事が、全国“学力”テストの成績開示を渋る市町村教育委員会を「クソ」呼ばわりしたことは記憶に新しい。一昨年には、OECDが実施する世界規模の“学力”調査「PISA」での日本の成績が落ち続けていることがメディアを賑わせた。曰く「子どもの“学力”が低下している!」と。

 では、本書のタイトルではないが、学力とはなんなのだろう。一般的に学力は知識量だと思われがちだ。テストの点数が高い人が学力が高いと見られる。だが、教育問題研究会「プロ教師の会」の一員にして、教育系大学院の客員教授である諏訪曰く、これは「余りにノーテンキ」な学力観、いや、人間理解なのだそうだ。

 知識偏重の学力観の持ち主は、子どもは自発的に学ぶものだから、知識さえ与えればよいと考える。将来の目標があれば学ぶものだとも思っている。

 しかし、人間は生まれた瞬間から「学びたい」などと思っているわけがない。教育とは、その人間を社会人、市民に育成するものだ。社会人として形成される途上で、学習意欲も育まれるのに「できないのは、やらないから」と叱るのは本末転倒。できる、できない以前に、子どもは、やらないし、やりたがらない。同様に進学観や職業観も教育を通じて芽生える。いきなり「進学のために勉強しろ」と説教をたれるのも順序が違う。

 だから、学校は「知識」に加え、学習への「関心・意欲・態度」や「思考力・判断力」、つまり「人間として成長する」力を育む。そして、諏訪は、両者を合わせて「本当の学力」と呼ぶ。

 諏訪自身「現場で肌身に沁みて」いたというとおり、この学力観は教育の世界ではベタな認識のようだが、なぜか世間は、学力=知識量と捉えがちだ。

 理由は簡単。知識量は試験で測定可能な「見える学力」だが、人間として成長する力は測定困難な「見えない学力」。受験などでは前者を基準に査定せざるを得ないから、点数いかんで「学力低下」と騒ぐのだ。

 だが、「見えない学力」をおろそかにすれば、学習意欲はおろか、人間として成長する力も育たない。「見える学力」の充実ばかり叫ばれる今は、まさにその危機に瀕しているというのが、諏訪の指摘だ。

PISAを支持するヤツはブッシュと同じ!

 実は本書が語るのはこれだけなのだが、諏訪は持論を展開するために、巷の教育論を徹底的に挑発する。最近、メディアでデカい顔をして「見える学力」観ばかりを語る論者に、とにかく牙をむく。それも、第1章の1ページ目から。

〈学力は産業や行政や研究にすぐに通用する知的能力ではない〉

 単なる「学力」の定義付けのようだが、これはOECD礼賛論者への挑戦状だ。

 冒頭のPISAを主催するOECDは西欧由来の組織。出題する問題も、西欧の社会・文化を下敷きにしており、日本人には得点しにくい性格がある。その点数だけを見て慌てるのはナンセンスなのだ。

 また、OECDは“経済”協力開発機構だけに、PISAには、機構の進める〈経済のグローバル化に対応できる人間(子ども)を育成しようとする戦略〉が潜む。一方、教育は「国民(市民)の所有すべき」学力と、「国民(市民)としての望ましい姿(ありよう)や、生徒集団の共同性」を育む営み。宗教などと同じく、各国の社会に根ざすものだ。

 経済情勢をにらむことも大切だが、グローバル化という〈暫定的な普遍に巻き込まれつつ、屈服しないで、私たちのローカリティ(独自性)を守り続けるところに、私たちの教育の使命があるのである〉

 市民の姿は各国それぞれ。教育観も国ごとに違うという理屈は、確かにうなずける。

 だから、諏訪にとって、PISA1位のフィンランド教育を世界一とほめそやす福田誠治(都留文科大学教授)は「度し難い」ほど「すっごい決めつけ」をする人。OECD主導の「社会・経済構造のグローバル化」に即した学力こそが正しいとする尾木直樹(法政大学教授)は、〈イラク戦争を始めるとき、「日本が(アメリカの力で)近代化・民主化されたのだから、イラクも当然民主化されるはず」と語った能天気そのもののブッシュ大統領と同じ〉存在だ。

 ゆとり教育を安易に叩く言説も、諏訪は嫌う。

コメント14件コメント/レビュー

フィンランドにせよ秋田にせよ、共通するのは辺境の単一文化圏であるということ。PISAで日本より上位に位置するG7の国はひとつもないという事実をどうとらえるかが重要。生徒や家庭の質がある程度平準化されていると教師は楽だという証拠にこそなれ、社会の活力が維持されることにはならないのではないか。その点を忘れた学力論争は不毛です。(2009/02/10)

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フィンランドにせよ秋田にせよ、共通するのは辺境の単一文化圏であるということ。PISAで日本より上位に位置するG7の国はひとつもないという事実をどうとらえるかが重要。生徒や家庭の質がある程度平準化されていると教師は楽だという証拠にこそなれ、社会の活力が維持されることにはならないのではないか。その点を忘れた学力論争は不毛です。(2009/02/10)

見えない学力って何だ?それが見えない。東洋的考え方=学習は教養であり、人間性を高める。したがって、実際に社会に役に立たなくても学習の意義はある。西洋的考え方=社会で役に立つことを学ぶのが学習の目的。見えない学力には何ら経済的なメリットはない。つまり、見えない学力は、経済的、社会的に無価値。この西洋的な学習観と東洋的な見方を、きちんとわきまえて、教育論を組み立てなければ行けない。落ちこぼれのために、ゆとり教育を行ったことは、落ちこぼれにとって、本当にいいことだったのか?落ちこぼれは、落とした方がよかったのではないか?ゆとり教育の個人的、ミクロ的メリットは果たしてあったのか?日本の社会全体として、ゆとり教育がメリットをもたらしたのか?東大生のの見える学力レベルまで下げて、果たして日本の社会全体のためになったのか?ゆとり教育にマクロのメリットがあるのだろうか?教育学者は、教養的にしか見ない。個人的な問題、ミクロばかりみる。経済学者、社会学者は、マクロしか見ない。経済的効率しか見ない。全く違った見方で、同じ教育を議論しても、よって立つ場所が全く違うので、全く噛み合ない。わたしは、ゆとり教育はミクロ的にも、マクロ的にもデメリットの方が大きかったと思う。(2009/02/09)

落ちこぼれ、留年の代わりに飛び級を復活させてはどうか。人間、差があるのを自然に学習し、心にも良い影響を期待できる方法だと想う。逃げるより追いかける方が何倍も楽しいんだから。(2009/02/08)

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