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あのイベントは、マンガ雑誌の読者欄から始まった~『コミックマーケット創世記』
霜月 たかなか著(評:近藤 正高)

朝日新書、700円(税別)

  • 近藤 正高

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2009年2月16日(月)

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コミックマーケット創世記

コミックマーケット創世記』 霜月 たかなか著、朝日新書、700円(税別)

 僕が同人誌即売会「コミックマーケット」(コミケット、コミケ)に、評論系の同人誌を販売するためサークル参加するようになってかれこれ7年以上が経つ。残念ながら昨年末は私的な事情から欠席せざるをえなかったが、あいかわらずの盛況だったと聞いた。

 いまさらいうまでもなく、東京ビッグサイトを丸々借り切って年2回(夏・冬)開催されるコミケは、数あるマンガやアニメの関連イベントでも日本一、いや、世界一の規模を誇る。一昨年末の「コミックマーケット73」では3日間の会期中、のべ50万人が参加し、3万5000のサークルが出展したという。

 それにしても、まがりなりにもプロのライターである自分が、なぜ同人誌をつくってまでコミケに参加しているのかといえば、そこがさまざまな人と出会える場だからだ。現にサークルのブースにいると、編集者・ライターをはじめブログにコメントをくれた人、しばらく音信不通だった知人など、思いのほか多くの人と遭遇する。いま一緒に同人活動を行なっている友人たちからしてコミケで知り合ったのだ。

 だが失礼ながら、その主催者たる「コミックマーケット準備会」の初代代表が本書の著者だとは知らなかった。霜月たかなかという名前は、マンガ研究者としては認識していたのだけれども(その編著『誕生!「手塚治虫」』は、戦前と戦後のマンガ史をつなぐ存在として手塚を位置づけたユニークな本だった)。

 もっとも著者──本書では本名の「原田央男」として登場する──が代表を務めたのは最初期の4年間だけ、その後コミケ会場には実に26年ものあいだ訪れていなかったという。本書では、そんな四半世紀以上もの空白を経て、コミケの誕生するまでの経緯が語られている。

 コミケの原点として著者はまず、1966年末に手塚治虫の虫プロダクションから創刊されたマンガ専門誌『COM(コム)』をあげる。同誌では手塚の代表作である「火の鳥」などプロ作家の作品が連載される一方、巻末には「ぐら・こん(GRAND COMPANION)」という、投稿作品やマンガ同人誌を紹介するページが設けられていた。

 「ぐら・こん」は単なる読者欄という枠を超えて、日本全国のマンガマニアが団結することを目指していたという。具体的には各地区ごとに支部を置き、そこで機関誌および回覧誌(まだ「マンガ同人誌」とはあまりいわれていなかったようだ)の発行などの同人活動を行ない、有望な新人を本部となる『COM』で育成、最終的にはプロデビューさせるという構想を持っていた。

「絵に描いた餅」が一人歩きしはじめて…

 しかし、それも1973年の『COM』休刊とともについえる。そもそも、それほど大規模な活動を一雑誌の編集部が統括できるはずもなかった。同誌の元編集者によれば、「ぐら・こん」ではたった一人の編集者が、各支部との連絡や接触を行なっていたという。

 にもかかわらず、「ぐら・こん」が描いた構想は〈幻の「まんが共同体」として全国の『COM』読者を呪縛し続けることに〉なった。彼らは各地でサークルを結成し、同人誌を発行することになる。著者もその一人だった。

 とはいえこの時代、マニア間で同人誌を売り買いする場は限られていた。その数少ない場の一つが、1972年に始まった「日本漫画大会」という年1回のコンベンションだ。

 これもまた『COM』に触発されて始まったファン活動であり、同人誌即売会のほか、原稿の展示、作家との交流、アニメーション上映、中古マンガのオークションなどが企画されたという。と同時に、マニアたちに格好の交流の機会を与えた。後述するように、のちに漫画大会とは訣別する著者も、ここで培われた人脈がなければ、コミックマーケットにいたる道は開けなかったと振り返る(漫画大会自体は第10回で幕を下ろした)。

 著者が初めて手がけた機関紙「萩尾望都ファン連絡機関 モトのとも」も、第1回大会の合宿で知り合った萩尾ファンたちに宛てて発行された。

 これはハガキに短文批評やニュースを書き綴り、そのまま郵送するという手軽なものだったが、翌73年には本格的な同人誌『別冊モトのとも』をつくって漫画大会にのぞむ。さらにこのときのマニア同士の会話を発端に、マンガ評論サークル「CPS(コミック・プランニング・サービス)」を結成、『いちゃもん』という同人誌が発行された。

 その一方で著者は、関西で同人活動を行なっていた亜庭じゅん、明治大学SF研究会に所属していた米澤嘉博らとともに「迷宮」(正式には「迷宮'75」のように西暦年がつく)という批評集団を1975年に立ち上げ、評論誌『漫画新批評大系』を創刊した。

 「迷宮」結成にあたり著者たちは、その「運動理論」を議論している。当時の著者のメモには〈我々は、主体的にマンガに関わりかつ、コミュニケートを求める者にその場を解放する!!〉と走り書きされていたという。ひいては、「迷宮」は単なるサークルではなく、〈そこに集って運動をなす者が構成員となるいわば「場」〉であることが目指された。

 この時点ではまだ、具体的な運動として同人誌即売会が提案されるまでにはいたらなかったものの、まもなくしてその検討を迫られる。

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