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できないことを抱えすぎた人に『旅する力』
~深夜特急はいつでも待っている

2009年2月25日(水)

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旅する力――深夜特急ノート

旅する力――深夜特急ノート』 沢木耕太郎著、新潮社1600円(税抜き)

「ええーっ」「ええ、はい」「はいはい」「あっ、そうなんですか」「へぇー、うんうん」……。

 先ほどから、ラジオの番組にゲストに招かれた、ひところ大人気を誇った女優さんが近況を語っている。「番宣」でやってきたのは明らかとはいえ、仕事しながら聴いていたのもあって、耳に残ったのはパーソナリティの巧みなうなずきばかりだ。

 相槌に隙がない。絶妙なタイミング。パーソナリティの「はいはい」はふだんよりもすこしだけ甲高く、大げさだ。ああ、こりゃまったく興味がないというのがわかった。

 くだんの女優さんの「わたし」は、みんなが自分に興味をもっているはずだという前提で成り立っている。だから、語る本人はサービスのつもりの「わたしの近況」なんだが、「わたしはねぇ」「わたしが」「わたしも」と、「わたし」の大判振る舞い。これでは、ひとに誘われてついていった、なんとか尽くしの料理を口にしているような気分になってくる。

模倣者が沢木耕太郎を超えられない理由

 本書は、著者が『深夜特急』の旅に出る前の話やノンフィクションライターとして仕事をはじめたころの話を書いたエッセイ集だ。

 「私」の見たものを書く沢木流ノンフィクションスタイルに影響を受け、模倣する人は尽きないが、マネをこえられないのはどうしてなのか?

 ずっと不思議だなぁと思っていたが、簡単な答えにたどり着いた。気づかせてくれたのは、たとえば「たったひとつの言葉をたずさえてユーラシアへの旅に出た」と題したエッセイに記されるこんな逸話だ。

 それは1973年のこと。のちに代表作となる『一瞬の夏』へとつながる取材だが、ボクシングの元チャンピオン・カシアス内藤が韓国・釜山で東洋太平洋ミドル級タイトルマッチを戦うというので、「私」は観に行くのだ。

 テレビ局の知り合いが便宜をはかってくれたおかげで、空港にはカタコトながら日本語を話す金氏が出迎え、取材はスムーズにいった。

 アクシデントは、その金氏のガイドにしたがって、彼自慢の店で、とっておきの冷麺を食べたときだ。「私」の目にうつったのは、

〈金属のボウルに蕎麦のように黒っぽい麺が入っている。/私はそれを見た瞬間、胸がつかえそうになってしまった。(中略)そして、ひとくち食べてみて、その麺のゴムのような食感に驚いてしまった〉

 ふだんの「私」は、食に関して好き嫌いがない。それなのに、喉を通そうとすると脂汗まで出てくる。とうとう三分の二を食べたところで、ギブアップしてしまった。

 「どうしてこんなにおいしいものを残すのだろう」。口には出さないが、そう思っているであろう金氏の目線を、痛いほどに感じ「私」はひどく落ち込んでしまう。こんなことで自分は外国に行く資格はあるのだろうかというぐらいにまで。

 沢木氏は、長文のこのエッセイを、冷麺体験から何年もあとの「私」の食体験でしめくくっている。

 ハワイのレストランで、気取って注文をしようとしたが、言葉がまるで通じない。あせっていると、食事をともにしていた建築家のM夫人が、「そういうときは、haveを使えばいいのよ」という。さっそく使ってみると、ウエイターは簡単に理解してくれて、楽しい会食となったというのだ。

 ポイントは、このとき「私」を見ていた、Mさんの様子。表情だ。

 沢木氏の狼狽を笑うでもなく、さり気ない態度でことばを挟んだあとも、なにげなくしていた。その描写から、「有名な建築家の夫人」をこえたMさんへの興味が引き出される仕掛けになっている。

 そして、「私」はこのときのhaveをきっかけに、言葉を話せないことが異国を旅する際のブレーキにならなくなったというではないか。

 沢木耕太郎の文章のよさは、「私」をときに道化にし、自分のしくじりを書くことで、それを見ているまわりのひとの人柄を浮き上がらせてみせることだ。

 他人の失敗、困惑を見て、そばにいた人はどう対応したのか、思い返してもらいたい。日々の生活でも、厄介なことに遭遇した際の態度に、ひそんでいる人格や個性があらわれるものだ。

 冷麺の金氏にしても、店を案内する際の自慢げな一言と、残った丼を目にしながら無言でいる気まずい間。この落差が、金氏の人柄を表わしている。逆にいうとこの場での作中の「私」は書き手にとって、金氏の人柄をもの語るための役者として用いられている。

 沢木耕太郎の文章には「私」が頻繁に登場する。むろん出たがりだからではない。

 それは、たとえば椎名誠や原田宗典の書くエッセイにおける一人称の使い方に近い。語りたい目的があるために、その場に居合わせた「私」を登場させるのだ。「私」は主人公などではありえない。

 あくまで、状況を引きたてるための役者としての「私」である。その自覚がどれほど徹底したものか。おそらくマネようとするものたちとのちがいはそこにあるのだと思う。

 ムダ口が長くなって申し訳ない。本書は、なぜ旅をするのかについて書いた本だ。

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