「シネマde青春」

番外編“ 戯れ言フルスロットル VOL.III ”

――優しさって、何ですか?

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2009年3月6日(金)

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 今日、久しぶりに失恋した――。

 私は、冷たい人間らしい。つまりは、優しくないと。

 だが、別れ際に彼女が言ったことは、自分で笑ってしまうほど当たっているかもしれない。と思ってしまう。そりゃそうだわな。ぼくはきみより原稿のほうが大事だ――、なんてことは普通の男は言わない。

 私はモノ書きだから“原稿”という言葉を使ったが、これを“仕事”と置き換えても、たぶん、多くの男性は口にしないだろう。

「わたしの気持ちなんて、これっぽっちもわかってくれてない……、だったら、仕事と結婚すればいいわ」

 ちょっと胸が痛んだ。

 こういう台詞を私は何度か聞かされている。それも失恋するたびにだ。

 これじゃ鯉も飼えないね。失恋するたびに同じことを言われるようじゃいけない。

 だが、私は思うのだ。たとえ失恋するにせよ、もし、これが“仕事”ではなく、“夢”や“やりたいこと”だったら、彼女たちは違う去り方をしたのではないかと。ぼくには生涯かけてでもやりたいことがある。だから、いまはきみを選べないと言ったら、彼女たちはどうしただろう。やっぱり同じ結末を迎えただろうか。

 愛について――。

 人を好きになるのはとても簡単だ。そこには理由も理屈もいらないからだ。

 電話を切っても、すぐにその人の声が聞きたくなり、じゃあねと別れても、すぐにまた会いたくなる。仕事も何もほっぽり出して、ずっとその人と一緒にいたい。ずっと抱きしめていたい。寄り添って眠りたい。一緒に朝を迎えたい。それが好きになるということだ。

 誰かを好きになるという気持ちは何ものにも替え難い。だから、とても純粋なのだ。

 いかんなぁと思う。私はあの喫茶店の店主にすっかり感化されてしまったらしい。あの店主の好みそうなことなのだ、こういう話の展開が。

 店主は、いつも、愛というのは“偽り”だと言っている。偽りだから愛なのだと。

 誰かを好きになる。それは恋心だ。その恋心は純粋だから、そこには偽りの気持ちなど毛ほども含まれない。何十億もの人がいるなかで、たったひとりのかけがえのない相手に出会えるのだから、それ自体がすでに奇跡と言ったっていい。

 だが、やがて恋心が愛に変じたとき、人の心には“偽り”が芽生える。

 と店主は言うのだ。

 男と女が出会い、互いに見初めあう。同じものを見て、同じ時間と空間を共有して、いつしかその人の存在が気持ちのほとんどを占めるようになる。好きで好きでたまらないというやつだ。寝ても覚めてもその人のことしか考えられないような時期は誰にでもある。
 すると、人は、その人と同じ人生を歩みたいと願うようになる。

 喜びも悲しみも分かち合い、ともに歩む未来を想像する。この人となら幸せになれるかもしれない、この人を幸せにしたいと思う。

 店主が、愛は偽りだというのはそこだ。どこだとか訊かないように。

 愛する人を幸せにしたい。愛する人と幸せな家族をつくり、温かい家庭を築く。そのために、人は何をすればいいのか――?

 店主は言う。そのために、人は自分を騙し、好きになった人を騙すと。

 何故ならば、好きになった人を絶対に幸せにする自信のあるやつはいい。だが、分別ある人間ならば、自分がまだ未熟であることを自覚しているからだ。未熟者に人を幸せにする力などあるわけがない。未熟者に、好きになった人を守る力もあるわけがない。

 だから自分を偽るのではないか。と店主は言う。自欺なのである。

 自分はこの人を守れるだけの人間にならなければならない。強くならなければ――、と思う気持ちは、己を鼓舞する。だが、それは同時に自分を偽ることにもなるのだ。不安だから自分を騙すのである。本当は強くなんかないのに、自分を騙して強い自分を演じるのである。

 だが、自分を騙すのは、好きな人を安心させるためなのだ。好きな人を不安にさせたくないから、人は背伸びをし、自分を大きく見せてその人を騙す。

 だから、その“偽りの気持ち”は、ときに健気で、美しくもある。

 好きな人を安心させるための嘘だから優しいのだ。

 すると、相手にもその気持ちが伝わる。自分のために無理をしている姿というのは、心に響くのだ。その気持ちがとても嬉しく、だから、優しく騙されたふりをしてやる。

 店主が常日頃から“爽やかに人を騙す”とは、そういうことらしい。

 好いてもいない人を騙すのは、ただの詐欺に過ぎない。ありもしないことを舌に載せるのは、ただの嘘だ。嘘つきはいつも嘘をつく。

 そして、口ばかりで何の努力もしないやつが人を不幸にするのだ。

 自分の力を過信して、自分を強いと思い込んでいる勘違い野郎が、いざというときに狼狽え、大切な人を守ることさえできないのだ。理屈で好きな人は守れない。

 愛とは、自分を偽ってでも好きな人を幸せにしたいと願う心の表れだから美しいのだ。

 何というひねくれた理屈だろう――、と私などは思う。

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著者プロフィール

降旗 学(ふりはた・まなぶ) 

ノンフィクションライター。1964年、新潟県生まれ。神奈川大学法学部卒。英国アストン大学留学。96年、第3回小学館ノンフィクション賞・優秀賞を受賞。主な著書に『残酷な楽園』『敵手』『松坂大輔 証明』他、剣崎学のペンネームで書いた『都銀暗黒回廊』など。
近著は『草野球をとことん楽しむ』(新潮新書)。 本ウェブ連載「長目飛耳」をまとめた『世界は仕事で満ちている』(日経BP社)



このコラムについて

シネマde青春

趣味は楽しむから趣味なのだ。映画もまた、楽しんで観るから娯楽なのだ。たくさん観ているからといって偉いわけじゃない。要は、楽しめたかだ。それがいちばん正しい映画の見方だと私は思っている。・・・それでも、映画を観るたびに考えさせられることや勝手に学んだつもりになることは多々あって、何年経っても忘れられない場面もあれば、解釈の仕方ひとつで何気ない台詞に影響を受けたり、その台詞を借りて自分を励ましたり勇気づけたこともある。だから映画は面白いのかもしれない。そうした場面や台詞を拾い上げながら、私なりに感じたことを徒然に、道草を食いながら綴っていこうと思う。

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