かつて、作家の山本七平氏は著書『「空気」の研究』などで、日本人の行動原理を「日本教」によるものと定義し、その支配秩序を「空気」が握っていると喝破した。また、政治学者の丸山眞男氏は天皇制を「無責任の体系」と呼び、権力が消失する点を衝いた。これらは空気支配の証といっていいだろう。
「空気」は過去にも論じられていたものだ。だから、ここに来て「KY」(空気が読めない)という語が持ち出されたことに、ある世代より上ならば今更の感を覚えるかもしれない。
しかし、日本人の原則が明らかにされたところで、「空気」の支配力が衰えたわけではない。むしろ、いま改めて「空気」が問題になっているということは、それなりの理由があるものと考えられる。
今回、登場いただくのは、社会構造が強いる“生きづらさ”やナショナリズムの問題について積極的に発言をしている萱野稔人さん。日本人のコミュニケーションのあり方について尋ねた。
−−萱野先生は国家論、権力論をこれまで論じてこられました。このところ承認問題や生きづらさについて発言されていますが、それらの問題は「空気」と密接に関連していると思います。「KY」(空気が読めない)という言葉が2007年前後に様々な人の口の端にのぼりました。「空気」を読むことの是々非々は話題になっても、「空気」とは何か、なぜ「空気」が生まれるのかは、あまり問題になりませんでした。それも世の中の「空気」かもしれません。現状の社会において「空気」をめぐるコミュニケーションは、どういう性格を持っているのでしょうか?
萱野稔人(かやの・としひと) 1970年愛知県生まれ。03年、パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。哲学博士。現在、津田塾大学国際関係学科准教授。著書に『国家とはなにか』(以文社)、『権力の読みかた』(青土社)、『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)、『「生きづらさ」について』(共著、光文社新書)など。
萱野:以前からこの社会には、「空気」を読み、周りの「空気」に同調しろという圧力がありました。しかし、現在はそれがより洗練されたかたちで強まっています。「KY」という言葉が出てきたのはその象徴でしょう。
例えば、現在のいじめは、「空気」を読むことのストレスから生まれています。つまり、互いに「空気」をうまく読み合わなくてはならないという緊張のなかで、誰かをスケープゴートに仕立てることでガス抜きを行っているのです。合コンで“いじられ役”がいると、最初の緊張した雰囲気が緩和しますよね。あれに似たような関係処理が、いじめの場合ではより攻撃性を強めてなされているのです。
巷で言われるように、いじめは子供たちのコミュニケーション能力が低いから、あるいは他者に対する気遣いがないから、起こっているのではありません。逆に、「空気」を読めという圧力のなかであまりに高いコミュニケーション能力が求められるから、誰かをいじめずにはいられなくなっているのです。
日本的コミュニケーションの典型は、お笑い
−−異質な人間を排除するというより、「空気」を維持しろという圧力を緩和するために排除の力が働くというわけですか?
萱野:そうです。それだけ「空気」は日本人にとって逃れがたいもので、日々のコミュニケーションを規定しているのだと思います。「空気」を読むことは、我々が人間関係をつくるときの基本的なモードであり、この社会における行動様式の基盤になっているのです。
ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。










