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海峡発見よりも価値があったこと~『間宮林蔵・探検家一代』
高橋 大輔著(評:近藤 正高)

中公新書ラクレ、880円(税別)

  • 近藤 正高

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2009年3月10日(火)

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※著者の名前は「はしご高」ですが、ブラウザー上で表示できない恐れがあるため、「高」を用いています。ご了承下さい:編集部

評者の読了時間4時間12分

間宮林蔵・探検家一代──海峡発見と北方民族

間宮林蔵・探検家一代──海峡発見と北方民族』 高橋 大輔著、中公新書ラクレ、880円(税別)

 嘉門達夫が「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」というコミックソングで中ヒットを飛ばしたのはいまから25年前のこと。これは「川口浩探検隊」という当時のテレビの人気企画をパロったもので、洞窟へ探検隊よりも先に照明やカメラマンが入るおかしさなどがネタにされている。

 くだんの歌はもしかして、探検という行為の本質を突くものだったのではないか……本書にあった以下の記述を読んで、ふとそんなことを思った。

〈時に、探検家は滑稽としか言いようのない複雑な気分を味わう。誰も知らない謎をめざすとはいえ、現地では謎でも何でもない。未踏の秘境と考えられる場所にさえ、人が暮らしているのだから。発見する側からすれば困難に思えることも、発見される側からすればいとも容易い日常の風景なのだ〉

 最近でこそ少しずつ変化は見られるものの、探検家たちの業績を歴史のなかに位置づけるとき、先住民の存在はほとんど顧みられることはなかった。それはどこか、カメラマンの存在をないことにしてしまう「川口浩探検隊」的なフレームアップと似てはいないだろうか?

 考えてみれば、コロンブスのアメリカ大陸の“発見”にしたって、あくまでもヨーロッパ人にとってそうだったにすぎず、かの地にはそれ以前からずっと暮らしていた人たちがいたのだ。

 ひるがえって、本書のテーマである、江戸時代後期(19世紀初頭)にサハリン(樺太)をはじめ北方地域を探検した間宮林蔵はどうだろう。

 林蔵がサハリン島とユーラシア大陸とのあいだに海峡を発見し、サハリンが島であることを世界で最初に確認してから今年でちょうど200年を迎える。その海峡は後年、ドイツ人医師・博物学者のシーボルトによって「間宮海峡」と命名され、ヨーロッパにも知られるようになった(ただし、第二次大戦後に日本がサハリンから領有権を失ってからは、国際的には「タタール海峡」と呼ばれている)。

林蔵の探検をサポートしたのは誰?

 林蔵というと、やはり何をおいてもこの功績があげられる。その探検の背景に、当時たびたび開港を要求してきていたロシアに対して、国防の強化を急ぐ幕府の政策があったことを思えば当然だろう。けれども、彼の探検の意義を問おうとするとき、上記のような功績がかえって死角になると著者は書く。

 では、間宮林蔵の探検の真の意義とは何だったのか。自身も探検家である著者は、みずからの足で1997年末~98年初めと2006年秋と二度にわたって林蔵の行程をたどるとともに、彼の残した探検記を丹念にひもとき、ときには推理も交えつつこの謎に迫る。

 林蔵はサハリンを生涯に二度探検している。一度目は1808年で、松前奉行調役下役元締の松田伝十郎と、東西二手に分かれて北上することになった。これは、当時サハリンが大陸の一部なのか島なのか判別できていなかったためで、最終的に二人が再会できれば、島だということが証明できるというわけだ。

 このとき林蔵は東側の沿岸を丸木舟で進むも、あまりに激しい潮流、高波に阻まれ、結局、山を越えて、西岸を行く伝十郎を追いかけている。ようやく追いつくと、伝十郎はサハリンが島だと確認したというではないか。けれども彼も島の北端まで到達したわけではない。林蔵はその翌年、サハリンの再探検を幕府に申し出るのだが、これは伝十郎の言い分に対して納得がいかなかったからではないか、と著者は推理する。

 二度目の探検の願い出を受け、幕府は東岸の未踏部分の調査を林蔵に命じるのだが、彼はサハリンにふたたび上陸すると、前年の伝十郎と同じく西岸を進んだ。ここにもまた伝十郎への対抗意識がみられるだろう。林蔵が間宮海峡を発見したのはこのときだ。

 ただ、林蔵がその探検記『東韃地方紀行』で海峡発見について触れたのは数行足らずと、さほど感慨も感じられないという。それどころか、彼がサハリンと大陸の境界を見出した、島の北端にほど近いナニヲー(現・ルポロワ)は「敗北の地」と見るべきだとすら著者はいう。というのも、この地で彼はさらに北端を周回して東岸に出ようという計画を断念し、撤退を余儀なくされているからだ。

 と同時に、この挫折が大きなターニング・ポイントとなったともいう。ここで北方民族の存在が、林蔵の探検の意義を解く鍵としてクローズアップされる。

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