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21.どんなに笑われても、〈多数は正義ではない〉と言いつづけろ。

黒井千次スペシャル(5)『時間』その2

  • 千野 帽子

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2009年3月11日(水)

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時間

時間』黒井千次著、講談社文芸文庫、1,121円(税込)

 日直のボウシータです。引き続き、黒井千次の『時間』(1969/講談社文芸文庫『時間』所収)を紹介したい。これまでのあらすじは前回をお読みください。

 主人公の〈彼〉は、昇進試験の重役面接に呼ばれて廊下を歩いているとき、くたびれたレインコートの男を見て驚く。大学のゼミ同窓会で浅黄色のレインコートの男を見て以来、ここのところ、会社のなかや会社近くの路上などで、何度もその男の後姿(の幻覚?)を見るたび、なぜか落ち着かない気持ちになっていたのだった。

 いま目の前にいるコートの男は幻覚ではない。そして説明できない懐かしさを感じさせるものとなっていた。〈彼〉は意を決して男に近づく。

 ──おい。
 自分の掌が、しっとり優しいレインコートの肩にむけてのびていくのを彼は見た。肩がぴくりとふるえた。全く見知らぬ、まぶたのふくれた男の顔がふりむいていた。
 ──高田常務を、ここで待たせて頂いてはいけませんでしょうか。
 初老の男はおどおどと彼の顔を見上げた。
 ──人違いです。失礼しました。
 彼はあたふたと男から離れていた。

 前回、「CMのあと、この謎の男の正体が──」といったところでヒキをかましてしまったので、それを踏まえてお読みの読者は、

「このスカシ、なんかムカつく」

とお思いかもしれない。

 申しわけない。しかしそれはそれとして、この場面を読んだとき、私は笑ってしまいました。なんとなく地味な純文学だという先入見を持っていた『時間』という作品が、ハリウッド製サスペンス映画みたいな演出を、1960年代にさっさとやっていることに驚いたのだ。小説というやつは、ときどきこういうことをするから困る。いい意味で。

 もっとも、驚いたのはたんに『時間』は「地味な純文学」だという間違った思いこみを私が勝手に持っていたからなのだ。「読む」ということは、たんに情報摂取やお約束の娯楽からはみ出て、こういう驚きの連続であってもいい。

*   *   *

 ローズウッドの木目で圧迫してくる役員の壁。専務・人事担当常務・労務担当課長を前に、重役面接が始まる。〈彼〉はなんとか応答しているが、心のなかでは、まだあの〈後姿〉に感じた懐かしさの感情と、直前の筆記試験場での熱中とがぶつかりあって、混乱が続いている。そのうち、人事担当常務に、入社後〈君は変ったかね〉と問われ、〈彼〉は〈変らないですむものなら、変らずにすませたいと思います〉と答えた。

 ぎりぎりの境界線上を爪先立って歩き続ける自分を彼は感じた。
 ──変らずにすまないとすれば。
 執拗に常務は迫ってきた。
 ──おそらく、変らずには、すまないでしょう。
 ──で、君は変るわけだね。

常務に追いつめられた〈彼〉の心のなかで、なにかが煮詰まっていき、ついに爆発したつぎの瞬間、彼には予期せぬ平静さが訪れた。

 ──変りたくはないようです。〔…〕
 ──なぜ。
 ──そういう奴が多すぎます。
 ──多数は正義ではない、というわけだ。
 常務は彼の方に顎をしゃくり、初めて重々しい笑いをみせた。
 ──君は、今の仕事は、面白いのかね。
 常務とのやりとりをソファーで身を沈めてきいていた専務が、手にした書類から眼だけをあげてたずねた。
 ──仕事は、面白いと思います。
 〔…〕先日完成したレポートの重みが、彼のなかにはずっしりとあった。

フジ系のドラマなら堺雅人あたりのイケメンがアップになってGReeeeNの主題歌が鳴っちゃうような場面である。こうして主人公は、課長資格試験に合格したのだ。

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