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これからの「日本史」を誰が描くのか~『ポスト戦後社会』
吉見 俊哉著(評者:近藤 正高)

岩波新書、780円(税別)

  • 近藤 正高

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2009年4月21日(火)

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評者の読了時間9時間40分

ポスト戦後社会──シリーズ日本近現代史〈9〉』 吉見 俊哉著、岩波新書、780円(税別)

 20代の頃、1972年に連合赤軍のメンバーが籠城し、機動隊と銃撃戦を展開したあさま山荘を実際に見たくて、冬の軽井沢へ出かけたことがある。

 結局、山荘は見られなかったが(だいたい山荘は現在では一般人の所有となっているので、見学は避けるべきだろう)、その一歩手前にある、「レイクニュータウン」と呼ばれる別荘地の入口まではたどり着いた。

 そこには、スイスの湖からその名がとられた「レマン湖」という人口湖と、フランスの古城を模した三越のファッション館があった。もはやキッチュというしかないその光景と(1974年に開店したという後者にいたっては、ラブホテルの外観を髣髴とさせる)、かつてこの間近で起こった凄惨な事件とのギャップに思わず頭がクラクラしたものだ。

 この別荘地は、国土開発が1960年代から70年代前半にかけて開発し、主にサラリーマン向けに分譲を始めたものである。現在では新幹線も停まる軽井沢駅からは車で10分とかからない。

 本書の著者は、こうした事実が、あの事件について多くの人が抱いている印象とはかなり異なっていると指摘する。

〈事件当時、テレビは、険しい山腹を背に張り出した三階建ての山荘を下から見上げるように映し出していた。それはどう見ても、軽井沢のような避暑地のイメージとはかけ離れた、人里遠く離れた山奥での出来事のように見えた。(中略)しかし、あさま山荘事件は、多くの日本人の日常のずっと近くで生じていたのである〉

 そもそも、連合赤軍事件を一つの帰結とする1960年代以降の新左翼運動の原点は、高度成長のなかで物質的な豊かさを享受する若者たちの、みずからへの問い(それはやがて自己否定へと発展していく)にあった。だが、繁栄に酔いしれる多数派にそんな問題意識が共感されるはずもなく、彼らの運動は大衆からしだいに乖離し、その分だけ先鋭化していく。

 「革命戦士の共産主義化」なる理論のもと、1971年末から翌年にかけて、連合赤軍は南アルプスの新倉、さらに群馬県の山中で合同訓練を行なうなか、「総括」と称して12人ものメンバーを虐殺し、自壊に向かっていく。そんな彼らが妙義山から長野県側へ抜けて、まさに開発と消費の現場へと変貌しつつあった軽井沢という地に迷い込んでしまったことを、著者は象徴的にとらえている。

「理想」を「現実」にできなくなった「虚構」の時代

 本書は、一昨年より刊行が続いている岩波新書の「シリーズ 日本近現代史」の第9巻で、通史のパートとしては最終巻にあたる(続刊の第10巻は総論『日本の近現代史をどう見るか』が予定されている)。近現代史のシリーズでありながら、本巻の著者は社会学者にして日本におけるカルチュラル・スタディーズ(文化研究)の第一人者と異色だ。

 タイトルに掲げられた「ポスト戦後社会」というあまり耳慣れない時代定義について、著者は、やはり社会学者の見田宗介の言説を援用しながら次のように説明する。

〈見田によれば、一九四五年から六〇年頃までのプレ高度成長の時代のリアリティ感覚は、「理想」(社会主義であれ、アメリカ流の物質的な豊かさであれ)を現実化することに向かっており、その後も七〇年代初めまで、実際に実現した物質的な豊かさに違和感を覚えながらも、若者たちは現実の彼方にある「夢」を追い求め続けた。しかし、八〇年代以降の日本社会のリアリティ感覚は、もはやそうした「現実」とその彼方にあるべき何ものかとの緊張感が失われた「虚構」の地平で営まれるようになる〉

 すなわち、本書でいう「ポスト戦後」とは、見田のいう「虚構」の時代に対応するわけだ。よりわかりやすくいうなら、高度成長を経て、物質的な豊かさを得たあとの時代、になろうか。先述のあさま山荘事件も、若者たちが「理想」を追い求めた果てに起こしたものだと考えれば、時代の転換期を象徴したできごとといえよう。

 本書の各論は、見田以外にも多くの論者(そこには著者自身も含まれる)の言説を参照しつつ、渋谷公園通りのファッションビル・パルコや東京ディズニーランドに都市のメディア化戦略をみてとったり、あるいは宮崎勤の幼女連続殺人事件の背景に都市近郊の郊外化を読み取ったりと、さながら1980年代以降の社会論の総ざらいといった趣きである。

 ただ、こうした個々の論だけを見ていくなら、それなりに社会学に通じている読者にとっては目新しさはあまりないかもしれない。本書で注目すべきは、各論ではなく、むしろこの一冊を通して新しい歴史の記述法を模索している点ではないだろうか。

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