日直のチノボーシカです。
『野性時代』に1年間連載してきた「読まず嫌い。 名作入門五秒前」が、現在発売中の2009年5月号
だから今回は完結を勝手に記念して(本人が記念しなければ、だれも記念してくれないので)、「名作」「古典」「純文学」といった、「サプリメント化していないコンテンツ」について書きます(「コンテンツのサプリメント化」については前回を参照されたい)。
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昨年末から今年の初頭にかけてベストセラーとなった奥野宣之『読書は1冊のノートにまとめなさい 100円ノートで確実に頭に落とすインストール・リーディング
古典だけは、主観的な評価は当てになりません。面白くないのも魅力の一部と考えておきましょう。〔…〕
古典を読むコツはずばり、「面白くなるまで積んでおく」ことです。
〔…〕メルヴィルの『白鯨』の前半は、これ以上ないくらい退屈で、少し読んでは途中でやめる、を何度も繰り返しましたが、結局買ってから二年くらいがたち、あるとき上下巻のほとんどを熱中して三日くらいで読みました。〔…〕
すぐには読めなくても、読みたくなったときに備えて、常にアクセスできるようにしておくことが重要です。
睡眠導入用に枕元においておくとか、本棚にしまわず、リビングの机の端にでも置いておいて、読みたくなる瞬間に備えておきましょう。
いつか波がきてすーっと読め、何年分ものカタルシスがやってきます。
これはなかなか卓見である。
奥野氏は古典と言っているが、じつは古典に限らず、サプリメント化していないコンテンツはすべて、〈主観的な評価は当てになりません〉が正解なのである。
サプリメント化していないコンテンツは、
- いますぐおもしろくなくても、あせる必要がない。
- いますぐおもしろくないからといって、「おもしろくない」と投げ出すと「余裕がないのね……」と憐れまれてしまう危険がある。
- 時間や人生経験によって、自分がいつの間にか「おもしろく」なっていることがある。
もちろん、おもしろくなるまで本を積んでおいたり、自分の手持ちの「おもしろいのツボ」とは違うところを刺戟する本を読んで新規のツボを開発したり、といったようなことは、読者として心の余裕のあるごく一部の人だけができることである(「ごく一部」とはいえ、足したらニッチなりに市場は形成されるくらいにはいるかもしれないけど)。
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前回書いたように、「大衆文学」というものはほぼ間違いなく、「この作品のどこをどうおもしろがればいいか」という取扱説明書つきで売っている。どこで泣けばいいとか、どの頁でびっくりすればいいとか、どの登場人物に共感すればいいとか、どの描写に怖がればいいかとか、帯や本文を読めばわかる。
活字に飢えているのに、小説(文学と呼ぶべきですか?)をどうにも受け付けない時期があります。最近はそんなことばかりです。仕方がないので新書を読んでいますが。やはり、他人の人生にまで思いをはせるほどの余裕がないのでしょうね。(2009/04/24)