前回の記事に、たくさんのコメントを頂き、ありがとうございました。皆さんから頂いたご意見を大きく分けると、次の2つの視点があると思う。
(1)組織の仕組み、トップや上司の意識改革
(2)組織の一員としての自覚や責任の持ち方
前者を「働かせ方」とするならば、後者は「働き方」となる。これまで私がコラム展開の軸にしていたのは、前者の「働かせ方」だ。前回のコラムも「働かせ方」に関しての問題提起であった。
働かせ方などというと、「上から目線」で横暴なイメージを持たれる方もいるかもしれない。だが「働かせ方と働き方」の両者からのアプローチなくして、個人の能力が最大限に引き出されることも、個人が満足感を高めることも、さらには社会的に健康な状態で労働することも不可能である。どんなにボトムアップが盛んな会社であれ、個人の力ではどうにも変えられないこと、どうにもならないことが組織には存在する。
「働き方」と「働かせ方」は影響し合う
特に大きな問題になればなるほど、個人の意志だけではどうにもできず、「働かせ方=経営サイドの意向」が強く影響する。また、個人の働き方も、少なからず「働かせ方」に影響を受ける。環境が個人を作るという話は以前にもしたが(参照記事はこちら)、どんなに個人が強い意志や高い志を持とうとも、機会のない職場では「働き方」の選択自体が狭められる。
さらに、仕組みや枠組みをどんなに整えても、経営陣やその組織に根づく価値観や組織風土が変わらない限り、それが生かされることはない。働かせ方を問うことなくして、働き方を議論することはできないと私は考えている。
その一方で、働き方が変わらない限り、働かせ方の道は広がっていかないという考え方がある。学歴、性別、国籍などで分けるのではなく、個々人の一人ひとりの意識を変えることで、初めて道が開かれるという考え方である。
そこで、さらなる議論を展開するために、今回は「働き方」について話をしたいと思う。キーとなる概念は、キャリア・アンカーである。これは、個人の働き方を大きく左右するものであるとともに、キャリア人生で個人が遭遇する困難の「大きな傘」の1つだ。
取り上げる事例は、私自身が客室乗務員として、全日本空輸という大組織の一社員として勤務していた時の話だ。
私が大学を出て客室乗務員(CA、当時はスチュワーデスと呼ばれていた)として全日空に入社したのは、1988年。空の規制緩和が始まり、同社が国際線に進出して2年目。国際線の客室乗務員として採用が始まった2期目に当たる。86年に男女雇用機会均等法が施行され、キャリアウーマンという言葉が一般化し、「ニューヨークのキャリアウーマンがスニーカーを履いて通勤し、オフィスでハイヒールに履き替える」なんてことが報道されていた時代である。
当時の私は将来に対する明確なビジョンもなく、キャリア志向が強いわけでもなかった。ノー天気な大学生が、浮かれたバブルの風に乗って、帰国子女であることを武器だと信じ、英語が使える、世界を股にかけた仕事(当時の私は、CAがそういう仕事だと思っていた)に憧れて、CAになったのだ。
ところが空を飛び出して3年目。気持ちに大きな変化が訪れた。「このままでいいのかなぁ」という曖昧な不安。これといったきっかけがあったわけではない。だが、ある時からそう感じるようになったのである。
当時、客室乗務員の定年は60歳。路線も拡大し、私は既にファーストクラスを担当できる資格も取得していた。空を飛んでサービスして、海外で買い物して、またサービスして帰ってくる。そんな生活の繰り返しに飽きた、というわけでもない。飛行機に乗り込んだおじさんたちから、「ネエチャン」扱いされることも多いCAの仕事が嫌になったというわけでもなかった。ただただ、「このままでいいのかなぁ。もっと違う自分がいるんじゃないのか」と思い始めたのである。
ここから先は「日経ビジネスオンライン」の会員の方(登録は無料)、「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみ、ご利用いただけます。ご登録のうえ、「ログイン」状態にしてご利用ください。登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。



博士(Ph.D.、保健学)・東京大学非常勤講師・気象予報士。千葉県生まれ。1988年、千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。医療・健康に関する様々な学会に所属。主な著書に『「なりたい自分」に変わる9:1の法則』(東洋経済新報社)、『上司の前で泣く女』『私が絶望しない理由』(ともにプレジデント社)、『

からのご案内




