「シネマde青春」

「誰もが幸福だったあの時代は戻りません」
〜第28回:ミツバチのささやき

「お友だちになれれば、いつでもお話ができる。目を閉じて呼びかけるの」

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2009年5月8日(金)

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 スペインのトスカーニャ地方にある小さな村に“巡回映画館”が訪れるのは冬のある日のことだ。人口400人にも満たない村の名前はオユエロス村。

「映画が来たよ、映画が来た。映画だ、映画だ」

 村の子供たちは、まとわりつくようにトラックの周りに集まってはしゃぎまわる。

 時代は1940年代初頭。内戦が終結して間もないスペインは、国全体が疲弊していた。娯楽のない時代なのだ。だから、誰もが巡回映画館を歓迎している。公民館で上映された映画は、ジェームズ・ホエール監督作品の「フランケンシュタイン」だ。

 公民館には多くの村民が集う。しかし、その中に、働き盛りの若い男性の姿は少ない。

 フランケンシュタインの登場に、村の子供たちは両手で目を覆ったり息を呑んだり、しかし、誰もが食い入るようにスクリーンを見つめている。

 映画は、湖畔で花を摘んで遊ぶ少女を映している。雑木林からフランケンシュタインが顔を覗かせるが、少女は怪物を怖がらない。怪物は少女の前に跪くように座り、少女が摘んだ花を湖畔に浮かべて一緒に遊ぶ――、これは実際の映画をそのまま映している。

 その映画を真剣に見ているのがアナ。小学校にあがったばかりくらいの年齢だ。

「イザベル……、ねぇイザベル、どうして殺したの?」

 アナは、隣りに座っている姉のイザベルに小声で訊く。フランケンシュタインが少女を殺してしまい、アナは何故そんなことになってしまったのかを知りたいのだ。そして、二つ三つ年上らしいイザベルも小声で返す。

「あとで教えたげる」

 その夜、就寝前のお祈りをしてベッドに入ったアナは、再び姉に訊く。

「イザベル、さっきのお話してよ。映画の」
「いまはダメ。明日ね」
「だって約束したじゃない。どうして怪物はあの子を殺したの? なぜ怪物も殺されてしまったの? ほんとうは知らないのね、嘘つき」
「怪物もあの子も本当は殺されてないのよ」
「どうしてわかるの? どうして死んでないとわかるの?」
「映画の中のできごとは全部嘘だから。だってわたし、あの怪物が生きてるのを見たんだもの」
「どこで?」
「村はずれで。隠れて住んでいるのよ。他の人には見えないの、夜に出歩くから」
「お化けなの?」
「精霊なのよ」

 この一言が幼いアナの心を支配する。

「夜しか出歩かないのに、どうしてお話したの?」
「だから“精霊”だって言ったでしょ。精霊とお友だちになれば、いつでもお話できるのよ。お話したかったら目を閉じて彼を呼ぶの……、わたしはアナです、わたしはアナよって」

 アナが目を閉じて何かを念じると、廊下に靴音が響くのだ。

 しかし、それは父親が書斎を歩き回る音だ。父親の職業は明らかにされていない。

 ミツバチを飼育する養蜂家のようでもあるが、書斎には書籍がびっしり詰まっていて、鉱石ラジオで外国放送を聞いたり、養蜂に関する論文を書いていたりする。厳格で、理知的な性格。一見それが気難しそうにも見えるが、オルゴール付きの懐中時計を所持し、小さな農村では珍しくスーツ姿で町まで出勤するらしい場面も描かれているので、インテリ層に属する仕事に就いている人なのかもしれない。外見もそんな感じなのだ。

 父親は、こんな論文を書いているのである。

「このガラス製のミツバチの巣箱では、蜂の動きが時計の歯車のように見える。

 巣の中で、蜂たちの活動は絶え間なく、神秘的だ。乳母役の蜂は蜂児房で狂ったように働き、他の働き蜂は生きた梯子のようだ。女王蜂はらせん飛行。

 間断なく様々に動きまわる蜂の群れの報われることのない過酷な努力。熱気で圧倒しそうな往来。房室を出れば眠りはない。幼虫を待つのは労働のみ。唯一の休息たる死も、この巣から遠く離れなければ得られない。

 この様子を見た人は驚き、ふと目をそらした。その目には悲しみと恐怖があった――」

 最後の一行は、書きかけで斜線を引いて消されている。

 論文を書きながら、彼は机に突っ伏して眠ってしまい、そのまま夜明けを迎えることがたびたびある。食事も書斎で摂ることが多いらしく、テーブルには食べ終えた食器がそのままに残されている。

 夫婦関係もどうやら冷えているらしく、明け方、妻のテレサは夫が寝室に戻った気配に目を覚ましても寝たふりを続けている。そして、夫には内緒で“かつての恋人”らしい男性に宛てた手紙を書き続けている。

「誰もが幸福だったあの時代は戻りません。

 神さまが再会させてくださることを祈っています。

 内戦で別れてから毎日祈っています。この失われた村にフェルナンドと娘たちと生きながらえながら、この家も壁以外はすっかり変わりました。中にあったものはどこに消えたのか――。

 ノスタルジアで言うのではなく、そんな思いなど持つどころではないこの数年でした。身のまわりの多くのものが失われ、壊され、悲しみばかりが残っていきますが、失われたものと一緒に、人生を感じる力も消えたように思います。

 この手紙はあなたに届くのでしょうか。外からの知らせはわずかで混乱しています。

 あなたが無事でいることを知らせてください。心を込めて。テレサ」

 彼女は、ずいぶん離れた駅まで自転車を漕いで手紙の投函に出かけている。

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著者プロフィール

降旗 学(ふりはた・まなぶ) 

ノンフィクションライター。1964年、新潟県生まれ。神奈川大学法学部卒。英国アストン大学留学。96年、第3回小学館ノンフィクション賞・優秀賞を受賞。主な著書に『残酷な楽園』『敵手』『松坂大輔 証明』他、剣崎学のペンネームで書いた『都銀暗黒回廊』など。
近著は『草野球をとことん楽しむ』(新潮新書)。 本ウェブ連載「長目飛耳」をまとめた『世界は仕事で満ちている』(日経BP社)



このコラムについて

シネマde青春

趣味は楽しむから趣味なのだ。映画もまた、楽しんで観るから娯楽なのだ。たくさん観ているからといって偉いわけじゃない。要は、楽しめたかだ。それがいちばん正しい映画の見方だと私は思っている。・・・それでも、映画を観るたびに考えさせられることや勝手に学んだつもりになることは多々あって、何年経っても忘れられない場面もあれば、解釈の仕方ひとつで何気ない台詞に影響を受けたり、その台詞を借りて自分を励ましたり勇気づけたこともある。だから映画は面白いのかもしれない。そうした場面や台詞を拾い上げながら、私なりに感じたことを徒然に、道草を食いながら綴っていこうと思う。

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