舞台は1957年のウィーン。
マックスは、オペルホテルでナイトポーターを勤めている。夜勤玄関番と訳されるが、夜間専門のフロント係だ。演じているのは「ベニスに死す」や「遠すぎた橋」に出演のダーク・ボガード。
オペルホテルの造りは古く、一見したところでは正統なホテルだが、ここにはマックスと関わりのある人たちが客として投宿している。そのひとりが、有閑マダムとおぼしき中年女性。かつてはマックスと愛人関係にあった夫人だ。住居代わりに長逗留しているらしいが、夜更けに呼び出してはマックスを閉口させる。
「寒気がするの、マックス。風邪薬なんかじゃダメよ……、わかるでしょ、少しは想像力を働かせたらどうなの」
「困った人だ。わかってますよ」
レディにぞんざいな口を利くと、マックスは仮眠中の若いフロント係を叩き起こし、42号室へ行けと命じる。夫人の“相手”をさせるためだ。以前ならそれがマックスの役割だったのかもしれない。
紳士然とした男性客もひっきりなしに宿泊しているひとりだ。客の名はクラウス。マックスとは旧知のようでいて、しかし、クラウスには周囲をはばかるようなところもあり、態度はどこか不自然だ。
「泊まれるかね、いつもの部屋にしてもらいたいのだが」
「すぐにご用意できます」
「顔色が悪いな、マックス。木曜のことが心配なのか……、だが安心したまえ。きみの場合は簡単にすむはずだ、厄介な“証人”がいないからな。きみのようなケースは非常に稀だと“教授”も言ってたよ。彼が来たら私の部屋に通してくれ」
ホテルマンであるにも関わらず、マックスは彼らに愛想笑いのひとつも見せない。
世界的に知られた指揮者が夫人を伴ってアメリカからウィーンを訪れるのは晩秋のころだ。モーツァルトの「魔笛」が公演されるのである。チェックインカウンターで夫人の姿を認めたマックスは凍りついたかのように表情を硬くし、夫人もまたマックスに気づいて呆然とする。指揮者夫人のルチアを演じているのが、シャーロット・ランプリング。10代の頃、フェイ・ダナウェイと並んで私が憧れに憧れた女優だ。
ここまでが物語の導入部――。
ルチアはとかくマックスを避けている。夫がルームサービスを頼めばやめてと言い、マックスがオーダーを部屋まで運んでくれば浴室に身を隠し、マックスが部屋を出ていく音を扉越しに聞くと、その場に力なく座り込んでしまうほどだ。そして、このホテルも街もすぐに出たいと夫に訴える。
「ダメだよ、ルチア。今夜だって公演があるんだ」
「だったらわたしだけでも先に発つわ。とにかく、ここを早く出たいの」
「ウィーンをかい? どうしたんだ、いったい。気持ちはわかるが、一緒に来たいと言ったのはきみだよ。明日はフランクフルトへ行くし、その次はベルリンだ。もう一日の辛抱じゃないか」
夫に宥められて、思い直したかのようにルチアは静かに笑う。
「まったく。きみが何を考えているのかわからないよ」
世界的な指揮者として知られる夫は、この、若く美しい妻を心から愛している。
だが、彼にはわからないのだ。ルチアが何故ここを離れたがっているのかを。彼は、その原因がフロント係のマックスにあることにすら気づいていない。
ルチアとマックスの関係はそれぞれの回想で輪郭を仄めかすが、それは“思い出”と呼べるような美しいものではなく、歴史的な事実という悲しく忌まわしい“過去”でしかない。ルチアの出現で、マックスが封印しようとしていた過去が掘り起こされるのだ。
マックスの過去は、さきにチェックインした男クラウスと、彼を訪ねてきた“教授”の会話で明らかになる。マックスに関する調査資料を入手したと言って、クラウスが資料を読み上げる場面だ。
「マクシミリアン・アルドルファ、元ナチス親衛隊員。当時の所属はハンガリー第4B局。戦後はさまざまな偽名で云々……、とある。国際裁判の記録で、彼の分類番号は“3”になっている。つまりは小者とみなされているということだ。だが、補注として“大物幹部と親交あり”と記載されている。安心はできん」
これがマックスの正体だ。彼は、かつてナチス親衛隊員だったのである。身分を隠し、いまはホテルマンとしてウィーンに暮らしている。戦犯として追われる身なのだ。
「妙な男だよ。親衛隊時代は医者になりすまして、いかがわしい写真ばかり撮っていた」
「彼の“患者”はみな死んだはずだが」
「いや、ひとりだけ……、この子を覚えているか?」
クラウスは、収容所でマックスが撮った写真を教授に手渡す。そこに写っているのは、身体検査の列に裸で並ぶ美少女――、ルチアなのだ。当時の彼女は、まだ10代の後半。
第二次大戦時、彼女はユダヤ人強制収容所に送られたが、その美しさ故にナチスの若き将校の目に留まり、特別な“待遇”を受けていた。ルチアに目を留めた将校がマックスだ。
「この子か、覚えている」
「その子が生きているかもしれんのだ。マリオに訊いてみればわかるかも」
「マリオ……?」
「イタリア人だ、料理がうまくて命拾いしたやつさ。戦後はドイツ人と結婚して食堂を開いている」
「あのマリオか、思い出した。以前に“参考人”として呼んだ男だったな」
「今回も召喚する予定だ。彼なら知っていることは何でも話してくれるだろう」
彼らは“査問会”の準備ができたことをマックスに告げ、イタリア人のマリオを参考人として招致すると伝える。
クラウスという男、そして教授と呼ばれているハンスも元ナチス親衛隊員だ。
ニュルンベルグ裁判を逃れた彼らは、摘発や密告に怯えながら民間人に身をやつし、秘密結社的なネットワークをつくって互いの保身に尽力している。その会合で、あたかも裁判のように“同志”の過去を洗い上げ、証拠を徹底的に隠滅する集いが査問会と呼ばれている。
隠し事は互いの破滅を招くと彼らは考えているらしい。だから、彼らは戦時中の“所業”を包み漏らさず打ち明け合っている。収容所を生き延びたユダヤ人がどこにいるか、彼らの顔と名前を覚えているユダヤ人がどれだけいるか――、それぞれの情報を持ち寄るのは、互いの急所を握り合うことで裏切りを防ぎ、互いを監視する意味もあるのかもしれない。
だが、全ては彼らが生き残るためなのだ。何故なら、ナチスによる戦争犯罪には“時効”がないからである。
数日後に査問会をひかえたマックスは、密かにマリオの店を訪れる。
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