それは10年ちょっと前のこと――。
長い下積み生活を経て、ようやく陽の当たる場所に書く機会を与えられるようになったモノ書きがいた。
彼は、後に妻となる女性にこんなことを言った。
私は売れっ子になろうと思わない。なりたくてもなれないと思う。でも、書き続ける。それが本になり、売れないまま古本屋で埃をかぶっていたって構わない。もしかしたら20年後、あるいはもっと先、誰かが二束三文で売られている本を手にとってぱらぱらとページをめくり、こんなふうに思ってくれるかもしれない。ふーん、××って20年も前にこんなことを書いてたんだ。けっこう面白いじゃん、と。
私は、そんなモノ書きでいいんだ。
今回は、そのモノ書きに“そんなモノ書きでいい”と思わせた映画を。
* * *
イタリアトスカーナ地方――。
彼らはいま、千年も前につくられた聖堂の修復作業に勤しんでいる。
父親を棟梁に、七人の兄弟たちが働いている。先祖代々、何代にもわたって聖堂や教会の建造、修復を担ってきた一族だ。彼らが修復している巨大な聖堂も、彼らの祖先がつくったものだ。祖先がつくり、後裔にあたる一族が完全修復した聖堂は“奇跡の聖堂”と呼ばれている。
修復工事を終えた日、工房には長テーブルが連ねられ、正装した棟梁と七人の兄弟、そして修復作業に加わった五人の職人が晩餐会を開いている。大聖堂を象ったケーキも用意されている。
「祖先は私たちにこの職業を伝え、手と想像の力を与えてくれた。お前たちにも乾杯しよう。聖堂はかつての壮麗さを取り戻した。ともに汗を流した七人のせがれにも礼を言いたい」
父親は、とりわけ下の二人の息子の技術を褒め称える。
アンドレアとニコラだ。この末の兄弟が映画の主人公。細部の細部にまでこだわりを見せる彼らには“黄金の腕”がある、と父親のボナンニは賞賛するのだ。
だが、父親は不意に、これは祝宴ではなく、別れの晩餐会だと皆に打ち明ける。
不景気で借金がかさみ、一族での工房運営ができなくなっていたからだ。経営が火の車だったことは、長男のドゥッチオだけが知らされていた。広い工房を売った跡地は市場になる契約が進み、兄弟はいずれもその市場で働くことも約束されていた。
末の二人は反対する。彼らは先祖代々受け継いだ仕事を続けたいと訴え、一年は無給になるが、それを乗り切れば工房の再建は可能だと兄たちを説得しようとする。だが、工房を売却し、市場になる計画は進められているのだ。すでに世帯を持っている上の兄たちもそれで納得している。黄金の腕を持つ者と持たざる者の違いだ。
だから、二人は“新天地”に渡ることを決めるのだ。
工房の閉鎖を機に故郷へ帰り、引退した父親も息子たちの渡米を許すのである。
「アメリカは何時かな」
朝だよ、とアンドレアとニコラは同時に応える。
「では、毎晩眠る前にこう言おう。お早う、アンドレア。お早うニコラ。次の日はニコラを先に言おう。お前らへの愛は平等だ。いつも平等に、一緒にいることがお前らの力だ」
ADDIO ITALIA!(さらばイタリア) PORCA ITALIA!(くそ食らえイタリア)――。
船室の出入り口横の壁に書いた落書きが波に洗われて見えなくなる頃、兄弟を乗せた船はアメリカ東海岸に到着する。船室の窓から見える摩天楼の瞬きは、兄弟たちに幼いころのクリスマスツリーのきらめきを思い起こさせるのだ。
こんにちは、アメリカ――、兄のアンドレアが呟く。
くそ食らえ、征服してやるぞ――、弟のニコラが鼻息も荒く摩天楼を見上げる。
だが、兄弟を待ち受けていたものは数え切れないほどの試練だ。アンドレアが独白する。アメリカは私たち兄弟に征服されることを拒んだと。
仕事を求めて州から州へと渡り歩いた兄弟は、渇いた大地が広がる南部の土地にいる。やっているのは石工職人としてのそれではなく、豚の世話だ。英語を話せないから、まともな職にありつけないのだ。
「豚が四匹足りない、そっちの柵に紛れ込んでないかい」
「英語で話せ。イタリア語で話しかけても俺は応えないからな」
「俺たち、一生このままなのか?」
「英語で話せ。英語を覚えるんだ」
農場への戻り道、兄弟は荷馬車でうたた寝をしている。
二人を乗せた荷馬車はレールの上をゆっくりと進んでいる。そうすれば道を違えないからだ。だが、うたた寝をしたせいで、彼らは正面から走ってくる列車に気づかず、急停止させてしまうのだ。
「ふざけやがって。お前ら、移民だな」
窯焚きの運転士に怒鳴られて、兄弟は慌てて荷馬車をレールから降ろす。
列車は急停止が原因でブレーキが故障したらしい。修理のあいだ、乗客は列車を降りてしばしの休息を楽しむが、最後尾の旅客車両からオペラが流れるのはそのときだ。ギターの弾き語りである。
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