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2割の「マンボをやめない人」が、案外でっかいことをやる

【番外編】内田樹先生×小田嶋隆さん対談【後】

  • 岡 康道,小田嶋 隆,清野 由美

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2009年6月26日(金)

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前編から読む)

内田 『人生2割がちょうどいい』の中で、小田嶋さんは“理想の雀士”と呼ばれていたでしょう。

小田嶋 弱い、早い、明るい、という。

内田 そう。その負けっぷりというのは、社会人として、本当に大事な資質ですよ。僕は負け際の悪い人間だから、逆によく分かるの(笑)。

小田嶋 どんなことが負け際の悪さというんですかね。

内田 樹(うちだ たつる)
1950年東京生まれ。東京大学仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程中退。神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。近書に『昭和のエートス』(バジリコ) 『街場の現代思想』(文春文庫)『街場の教育論』(ミシマ社)など多数。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第6回小林秀雄賞受賞。ブログは「内田樹の研究室 みんなまとめて、面倒みよう」。今回の収録については、こちらの「日本語による創造とは」でご本人も書かれています。
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内田 それは見事に、負け際の悪い人というのがいるんですよね。

―― 見事ですか。

内田 ええ。経営者とかは絶対、負け際、負けっぷりのいい人が向いています。例えば、ビジネスで何かがうまく当たったとします。優秀な経営者というのは、その最中に、あっ、これはもうだめだ、これは失敗した、って分かるんですって。

 まだ表面上は、売り上げは伸びているんですよ。顧客だって増えている。社員もみんな、「もう社長、大成功ですよ」とか言って舞い上がっている。なのに、「いや、あかん」と、みんなが猛反対する中で撤収しちゃう。それが真に優れたビジネスパーソンなんです。

小田嶋 負けをちゃんと察知する、というか。

内田 早々と「負けちゃう」。まだ負けていないうちから負けちゃう。

小田嶋 ガダルカナルまで行かないんですね。

経営者は負け際が、個人は負け方の明るさが大事?

内田 対して、一番ばかな経営者というのが、誰が見てももうだめで、みんなが、「やめろ」と言っているのに、「いやいや、これで行くんだ」と突っ張る人。そうやって、傷を深くしていっちゃうんですね。

 ですから、ビジネスモデルの失敗を、ほかの誰よりも早く発見するのが一番クレバーな経営者、要するに負け急ぐ人(笑)。

小田嶋 経営モデルだとか組織のモデルだとかの教訓話の中では、そういうのって、先を読んで先に手を打っておけ、みたいな話になるでしょう。でも、個人の話になると、絶対あきらめるな、みたいな話になりがちですよね。

内田 そうなんですよ。

小田嶋 それで思い出したのが、ミュージシャンの間で言われている話なんですけど。例えばマンボで当てたミュージシャンの場合、そもそも初めから食えないことはデフォルトだから、食えないということを分かった上で一生やっている、と。ただし、30年も40年もやっていると、マンボブームが30年に1回ぐらいは来るんだ、と。

内田 1回当ててから、もう一回りして。

小田嶋 そうやって30年後に、マンボブームになるかもしれないよ、ということを信じてやっていたりするわけです。そんな感じで、サルサをやっていたり、レゲエをやっていたり。サルサは7~8年前にちょっとだけ来ましたけど。

内田 ちょっとだけね。

小田嶋 だから個人スキルとしては、どんなに売れなくても絶対あきらめるな、という、そういう道も、あるといえばあるわけで。ただ、そういう人は会社を経営しちゃだめでしょうけど。

内田 逆に言えば、30年に1回しか来ない。あとの29年間は負けっ放しなわけでしょう。

小田嶋 後をどうしのぐか、というのが大事なんでしょうけど。

内田 負けている29年間を愉快に過ごすというノウハウがなかったら、やっていられないですね。つまり、30年目に機嫌よく生きていられるかどうか、というのが大事なわけです。

まわりがどんどんいなくなって、名人になってしまいました

コラムニスト 小田嶋隆氏
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小田嶋 うちのじいさんは、筆の職人だったんです。筆の職人って戦前はそれぞれ需要があって、そこそこ儲けていける、という適当な商売だったんだけど、戦後になったら学校書道がまずなくなり、日本の書道自体もなくなるよ、という雰囲気だったらしいんです。だから昭和20年あたりは、筆師という商売も、基本的になくなったような状態だったんですって。

 そこで目端の利く人たちは、みんなやめたんですよ。ところが、うちのじいさんは頑固だったのか、腰が重かったのか、ずっと筆の職人をやっていて、昭和30年代になってから学校書道がまた始まって、書道界が復活したら、名人になっちゃったの。昭和40年ぐらいまで生きたのかな、晩年の5年間というのはほとんど半病人で、よいよいよい、と朝起きてきて、3時間ぐらいしか働かなかったけれども、それでもうちのおやじの5倍ぐらい稼いでいました。

内田 ひとり勝ち状態だったわけですね。

小田嶋 当時、日本一の書道家といわれた人にも筆を納めることがあったぐらい、その道ではそこそこ名前の通った筆の先生になっちゃったんですよ。

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