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恨みはないが、「反ユダヤ主義」は大衆に受けてしまった~『青年ヒトラー』
大澤 武男著(評者:栗原 裕一郎)

平凡社新書、760円(税別)

  • 栗原 裕一郎

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2009年6月17日(水)

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評者の読了時間3時間00分

青年ヒトラー』 大澤 武男著、平凡社新書、760円(税別)

 今年2009年はアドルフ・ヒトラー生誕120年にあたるため、昨年末あたりから、ヒトラーおよびナチス関連の書籍がチラホラ出版されている。

 新書では飯田道子『ナチスと映画──ヒトラーとナチスはどう描かれてきたか』(中公新書)がありそうでなかった視点でまとめられた良い本だったが、ヒトラーやナチスについて新しい切り口がそうそう見つかるとは思えない。チラホラに留まっているのはそのせいだろう。

 本書は一言でいえばヒトラーの伝記ということになるが、誕生から青年期、政権を取る直前までに時間を限定しているのが目新しいといえば目新しい。ユダヤ人は人種ごと粛正されるべきであるという極端な反ユダヤ主義にヒトラーが駆り立てられていったのはなぜかという問いを軸に、人格形成史に焦点を絞った内容である。

 著者のヒトラー像はプロローグで端的に述べられている。

〈この想像を絶する異常な犯罪(ユダヤ人虐殺のこと──引用者註)は、歴史的必然ではなく、アドルフ・ヒトラーという個人にその決定的な源を発しているのである〉

 つまり、ユダヤ人虐殺の罪は、ヒトラー個人にすべて帰されるというのだ。

 いわゆる「意図派」である。評者は専門家でも何でもないので、ヒトラー関係の膨大な文献をすべてさらったわけではないけれど、ここまで力強い意図派的主張はいまどき珍しいのではないか。

 ユダヤ人虐殺を頂点とするナチスの狂気については、かつてはヒトラー個人(あるいはヒトラーおよびナチス幹部)の異常性や残虐性に理由が求められがちだったが、研究が進むにつれ、こうした異常者としてのヒトラー像は薄れていき、当時のドイツの政治構造や歴史や文化、あるいは大衆(主に中産階級)のあいだに広がっていた反ユダヤ感情との共振などに主因を求める見方が、知るかぎりでは現在の主流になっているはずだ。

 たとえば本書も参考文献に挙げている村瀬興雄『アドルフ・ヒトラー──「独裁者」出現の歴史的背景』(中公新書、1977年)は、客観的なヒトラー像を示したものとして日本では嚆矢に数えられる一冊だが、ナチスの政策にはユダヤ人虐殺にでさえそれが必要とされた多層的多元的な背景があるのであって、「ナチス首脳部やヒトラーの主観的意図だけから説明することは誤りである」と再三注意を促している。

「血も涙もあるヒトラー」

 近年では1996年にゴールドハーゲン論争というのが起こった。ハーヴァード大学の政治学者ダニエル・ゴールドハーゲンが上梓した『普通のドイツ人とホロコースト──ヒトラーの自発的死刑執行人たち』(ミネルヴァ書房、2007年)が発端となった論争である。

 同書でゴールドハーゲンは、1942年から1944年にかけてポーランドで起きたユダヤ人約4万人の処刑が、ごく普通のドイツ人で構成されていた第101警察大隊により“自発的に”なされたものだったことを実証的に示し、ナチスのユダヤ人虐殺政策を支えたのは、ドイツという国の文化と歴史に根ざし、ドイツ人一般に広く浸透していた反ユダヤ主義だったのだと主張した。

 一方、同じ事件を扱いながら、歴史学者クリストファー・ブラウニングは、第101警察大隊が主体的に処刑を行なったのは集団従属心理の結果と見ており、ゴールドハーゲンと見解を異にしている(『普通の人びと──ホロコーストと第101警察予備大隊』筑摩書房、1997年)。

 あるいは、芝健介『ホロコースト──ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌』(中公新書、2008年)では、ヒトラーやナチス幹部ら自体が状況に追い立てられるように虐殺へ雪崩を打っていったことが説かれている。

 いずれにせよプロローグの、ユダヤ人虐殺は「アドルフ・ヒトラーという個人にその決定的な源を発している」という認識は、こうした研究成果に真っ向から対抗する反動的な主張ということになるわけだが、本書を通読してもその論拠らしきものはじつは見あたらない。

 というより、本書全体をとおして描かれるヒトラー像は、プロローグの断言と齟齬を来しているようにしか見えないのである。

 著者は彼を一貫して「アドルフ」と呼ぶ。

 〈ヒトラーという姓で呼ぶよりも、アドルフという個人名(フォアナーメ)で呼んだ方が、何となく親近感があり、その本人を身近に感じることができる〉からというのがその理由だ。

 ユダヤ人虐殺の罪を一身に背負う史上最凶の犯罪者だと断言したそのすぐあとで、「アドルフ」と呼んで親近感を覚えろというのだから無茶である。

 本書でのヒトラーは、基本的には、裕福で幸福な家庭に育ち、受験や恋愛には失敗したものの、かけがえのない友人クビツェクと芸術に親しみ、質素な生活を心がけ、受けた好意や恩は決して忘れない礼儀正しい青年として描かれている。いわゆる「血も涙もあるヒトラー」だ。

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