• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「しあわせ」に生きたいなら、プルーストといっしょに考えてみよう

『失われた時を求めて』マルセル・プルースト著

2009年6月23日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

 疲れ果て、肩を落とし、足を引きずりながら家路につく。
 体の中心にある柱のようなものが、脆く、崩れてしまいそうだ。
 「これでおしまいにしよう」
 静かにそう心に決めかけている……そんな日もある。

 そのとき、運が良ければ、ぼくは出会うのだ。
 見過ごしてもおかしくないのに、偶然、なぜか目をとめる。

 すると突然、時の流れが止まる。
 ぼくを取り巻く事物のひとつひとつに細かな光が宿る。
 その美しさに浄化されたように、否定的な感情も思考もすべて消え去ってしまう。

 たとえば、ある11月の昼間。
 一点の白も置かれることなく、空は恐ろしいほどに深い青色だった。
 陽光の明るさに、かえって気持ちは沈み込んで、ぼくは、自分のつま先を見つめながら歩いていた。
 何の合図があったわけでもない。
 ふと、ぼくは顔を上げた。

 すると、黄色いイチョウ葉を舗道にまき散らしながら、秋が、飛行機をダイヤモンド・チップにかえて、天空をふたつに切り分けていた……。

 誰もが目にする、ありきたりの光景にちがいない。
 しかし、そのとき、ぼくは舗道に立ちすくみ、泣き出しそうな思いで、どれほどの時間だったろう、じっと空に引かれていく白線を、それが青に滲み出し、薄れ、跡形もなくなるまで、見つめていたのだった。

 日々、何もかもが悪い方へ向かって崩れ落ちていくとしても、それにもかかわらず、ぼくは世界を肯定できる、この生を肯定できる……こんなふうに「できそこなっている」ぼくにさえ、「生きていることが肯定される瞬間」が訪れるのだ。

*    *    *

 それは、不意にやって来る。日常の中のふとした瞬間に、まるで奇跡のような美しさ、晴れやかさを伴って。

 このかけがえのない時間、体験を「事件」と呼ぼう。

世界は美しい、黙って見つめていよう

 「事件」に出会うと、何もかもが、おそろしいほどにリアルでヴィヴィッドになる。
 あたかも瞳孔が二倍に開き、全身の神経が感度を増すようだ。

 ふだんあれほど自分を悩ませている、自分の生や思考や言葉につきものの「嘘臭さ」は、すっかり消えている。自分が世界に、あるいは時間に、密着していると感じる。
 そして、理由はまったくわからないが、感動とともに「これでよし」と納得している。

「ぼくがこんなふうで、世界はこうであるけれど、それもこれも、みな素晴らしい」

 と。

 突然立ち上がるこの輝かしい世界、ぼくにとって、かけがえのないこの感覚を、どう語ればいいのだろう。

 上に書いた例も、「飛行機雲を見ただけのこと。それがどうした?」と思われるのがオチだ。

 ぼくにとっては、確かに何事かが起こった。大切な、美しい出来事だ。鮮やかで衝撃的な感覚だ。
 それなのに、それを伝えようとする言葉は、唇から離れたとたんに嘘臭くなる。

コメント3

「生きるための古典 ~No classics, No life!」のバックナンバー

一覧

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック